日記
NHKラジオのテキスト「中高生の基礎英語in English」というのを書店で買ってみた。英語に関しては、これくらいのレベルの教材が自分には合っているのかも。並行して、Z会の「はじめる編 英作文のトレーニング」というのを読んでいる。 今日は山田晶『アウグ…
前に自分が統合失調症なのかどうかはっきりとわかっていない、というようなことを書きましたが、少し前に主治医に病名について確認したところ、典型的な統合失調症であると考えてよいとのことでした。最近、自分の妄想について自覚できるようになりました。…
前回の投稿からだいぶ日にちが開いてしまいました。 ここ最近はデイケアをしばらく休んでいました。ひと月ほど休んでいたのですが、やはり自分はどこかに通っていたほうが楽だということに気づきました。どこにも通わずに家で毎日過ごす生活は耐えられないと…
先日、やはり作業所はしばらく休ませてほしいということを作業所に伝えた。主治医からはデイケアを勧められているし、このままデイケアに移ることになりそう。といっても、しばらくは家で休んでいようと思う。どこかに通うことに対して、かなり恐怖を感じる…
ぼくは病気になってから感情の動きがとても弱くなったんだけど、少しはましになったのかもしれない、けれども普通の人と同じくらいとまではいかない。そもそも普通の人というのが、どれくらい感情動いているのか知らないけど。確認しようもない。だから、ぼ…
禁止する癖は、これもあるがままの自然なものだから、禁止することを禁止しようとすると、事態が複雑になる。禁止は仕方がない。禁止を禁止することなく、禁止を活用したい。(5.21) 村上春樹以外の本を読むことを禁止することにした。このように制限を設け…
久し振りに投稿しよう。 今日から四連休。何も予定は入れていない。こういうのはとても久し振り。二日続けて休みというのもめったにないけど、四連休となると一年振りくらいかもしれない。 やはり用事がないのは素晴らしい。もちろん、人と会って遊ぶことも…
夕飯は神保町のいせ源であんこう鍋を食べてきた。初めてのあんこう鍋。知らない世界を一つ新しく知ることができて、よかった。いせ源の前に、神保町のさぼうるという喫茶店でコーヒーを飲んだ。 移動中は安部公房『友達・棒になった男』(新潮文庫)という戯…
先週、ジャズのライブを見たとき、二曲目と三曲目のときだったか、涙が勝手にどばどばと流れた。その涙は自分の感情と結びついたものではなく、ただ涙が出ただけなのだとそのときは思った。花粉症の人が涙を流すのと同じことだろう、と。音楽は聴いていて楽…
今日は休み。今日はなんか普段と違う感じがする。穏やかな幸せをかすかに感じる。味わいを感じる。音楽に味が、アマゾンでドラム関係の本とかを物色していて味が、本を読んでいて味が、ほっともっとのチキン南蛮弁当を買って食べて味が、自分がこうして居る…
自分の健康な部分を信じることも必要だと思った。ぼくは数年前から、自分にも健康な部分は残されているのではないかと考えた上で、どこからどこまでが健康で、また病的なのか、線引きをする作業を意識的に続けてきた。統合失調症と診断されたということは、…
井筒俊彦『神秘哲学』が文庫化されたらしい。前に図書館で借りて少し読んで、これは手元に置いておきたい本だと思った。そのとき借りたのは井筒俊彦著作集の第一巻だった。そのとき、アマゾンでその著作集の第一巻の古本の値段を見たら、手が出ない値段だっ…
夏目漱石とか村上春樹、平野啓一郎あたりは、努力なしで読める。しかし、努力なしで読める本を読んでいると、落ち着かないときがある。努力することに対してこだわりなり執著があるみたい。努力しないで過ごす勇気も必要なのではないか。努力しないでいると…
新聞を読むことにした。いままで新聞を読む習慣がなかった。外の物事に目を向けることも大事なんじゃないかと思った。 いままで、心理療法、精神病理学、哲学、宗教の本を中心に読んでいた。心理療法は森田療法中心で、あと河合隼雄をいくらか読んだ程度。フ…
夕飯のあと、自分の部屋で30分ほど音楽を聴いた。Thelonious Monk "Monk's Music"を聴いた。このアルバムは"Abide With Me"という讃美歌で始まる。机の上に乱雑に積まれた本を片づけ、整理した。最近はドストエフスキー、木村敏、大江健三郎を中心に読もうと…
久し振りの更新。更新は一年振りくらいになるけど、生活の形はほとんど変わっていないし、考えもほとんど変わっていない。いま読んでいる本はドストエフスキー、大江健三郎、サド、木村敏など。 作業所というところに週四日で通い、余暇は本を読み、音楽を聴…
確か、カイヨワが『遊びと人間』の中で、糸の切れた凧について書いていた。確か、糸の切れた幻想などただの勝手な妄想に過ぎない、ということだったと思う。ぼくはこの糸の切れた凧についてしばしば考える。ぼくにとって糸とは何か。ぼくにはまだかろうじて…
「自分とは何か?」という問いかけは、小説家にとっては――というか少なくとも僕にとっては――ほとんど意味を持たない。それは小説家にとってあまりにも自明な問いかけだからだ。我々はその「自分とは何か?」という問いかけを、別の総合的なかたちに(つまり…
二時半ごろから、五時半ごろまで三時間くらい昼寝した。眠くて起き上がれなかった。
ぼくには哲学といえるようなものはない。人生観というくらいのものならあるかもしれない。というわけで、人生観の話。 人生観にしろ、哲学にしろ、自分の心を問題にすることなんじゃないかと思う。自己を探求することがこれ哲学であるならば、ぼくの場合、自…
西田幾多郎とか鈴木大拙とか木村敏とかエックハルトとかに惹かれるんだけど、こういう哲学、宗教、精神病理学などの本を読むことでいくらか罪悪感のようなものを感じたり、こういう本は読まないほうがいいんじゃないかと思ったりもする。読みたいんだけど、…
よい文章から離れていると、精神に潤いがなくなる。言語感覚は退化する。いま、くそ久し振りにニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波文庫)を何ページか読んだ。これはなにが書いてあるのか、ほとんどよくわかっていないんだけど、とにかく文章が…
記憶力ない。頭がクルクルパーになっている。そのへんの小学生にも劣る知能。知能というのもあるし、エラン・ヴィタールのもんだいだな。生命的なもの。奥からわきあがってくるようなもの。解体症状。ぼくの普段話している言葉はとてもひどくて、いわゆる言…
今日は通院だった。多和田葉子『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』(岩波現代文庫)を読み終えた。それなりにおもしろかったけど、岩波現代文庫にしては、ちょっと内容が薄いんじゃないかと思った。エッセイだから、こんなもんなのかな。解説を書いていたリ…
ブログのタイトルのところに、ぼくの普段使っているパソコンの横に置いてある、西田幾多郎の『善の研究』の写真を使った。ぼくはこの本がとても気に入っている。岩波文庫版、講談社学術文庫版の二つを読んだ。とはいえ、西田の本はこの『善の研究』くらいし…
自分が壊れていく、自分のなかの実質、人間性が失われていくのを現在進行形で目の当たりにする、そして時間の経過とともに、そうした自分の変化を自覚することもできなくなっていき、ついにはまったくの無自覚に陥る。それが、自分の末路か。ぼくはまだかろ…
裏という概念は、表という概念なしに成り立たない。 なにを言っているのかというと、たとえば即興演奏は、裏をかき、演奏のすべてが裏になっていないといけない。出したい音を出すのではなくて、出したい音を「出さない」という反動によって演奏が支配されて…
『仏教入門』は、行き帰りの電車のなかで、74ページまで読み進めた。三分の一程度。ここまで読んで思ったのは、この本には仏教の歴史について書いてあるので、仏教がいかにして生まれ、いかにして各国に伝播していったのかという枠組みはわかるのだけど、仏…
不妄語戒とは、「自分は悟ったと大言壮語することの禁止」とのこと。悟り厨は、不妄語戒に反するわけだな。ちなみに、ぼくは悟りという言葉を広く取っている。というのも、森田正馬の本に、『自覚と悟りへの道』というのがあって、少なくとも森田療法では、…
図書館で、松尾剛次『仏教入門』、『澁澤龍彦全集 16』を借りてきた。 仏教にはずっと興味があって、初めて仏教的なものに触れたのは、高校のときに森田療法に出会ったときだった。森田療法は、根本的な部分で、仏教とつながりがあると思う。それで、そのあ…