日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

症状

努力しないで過ごす勇気を持つこと

夏目漱石とか村上春樹、平野啓一郎あたりは、努力なしで読める。しかし、努力なしで読める本を読んでいると、落ち着かないときがある。努力することに対してこだわりなり執著があるみたい。努力しないで過ごす勇気も必要なのではないか。努力しないでいると…

Abide With Me、アウグスティヌスに感動

夕飯のあと、自分の部屋で30分ほど音楽を聴いた。Thelonious Monk "Monk's Music"を聴いた。このアルバムは"Abide With Me"という讃美歌で始まる。机の上に乱雑に積まれた本を片づけ、整理した。最近はドストエフスキー、木村敏、大江健三郎を中心に読もうと…

言語化は大事

言語機能って、言葉って大事だと思う。言葉だとか理屈に頼ってはいけないというような意見も世の中には存在する。では何に頼るのか、それは直感だとか、勘だとか、感情だとか、そういうものなのだと。 ぼくの場合、自分が何を好きなのかとか、何に興味がある…

おもに読書について、雑感

ここ半年、いや一年くらいか、精神病理学、心理学、哲学、宗教といったジャンルの本をほとんど読んでいない。つまり、小説しか読んでいない。どのような小説かというと、ドストエフスキー、大江健三郎、村上春樹、平野啓一郎といったところ。去年は『カラマ…

糸の切れた凧、木村臨床哲学の成果、正常者とされている人の語彙で理解する

確か、カイヨワが『遊びと人間』の中で、糸の切れた凧について書いていた。確か、糸の切れた幻想などただの勝手な妄想に過ぎない、ということだったと思う。ぼくはこの糸の切れた凧についてしばしば考える。ぼくにとって糸とは何か。ぼくにはまだかろうじて…

ナラティブ形成

「自分とは何か?」という問いかけは、小説家にとっては――というか少なくとも僕にとっては――ほとんど意味を持たない。それは小説家にとってあまりにも自明な問いかけだからだ。我々はその「自分とは何か?」という問いかけを、別の総合的なかたちに(つまり…

息苦しい、自分の病気の症状についていくつか

息が苦しい。過呼吸というやつだろう。ぼくの場合、胸のざわざわ感だとか、胸の中が空っぽの空洞になってその中を風がすーすーと吹いているというような感じに、息苦しさが伴っている感じ。これはとても苦しい。いまの病気になる前、神経症だったころは、自…

久し振りに近況

久し振りの更新、かな。いまはアメブロをずっと更新しているんだけど、たまにはこっちのはてなブログにも書いてみよう。 いまぼくは作業所というやつに通っている。作業所には週三日、午前の三時間だけ通っている。いまは読書だとか趣味を充実させるのを目標…

移動し続けていなければならない

つねにつねに、秒単位で、落ち着かず、じっとしていることができないことが、きつい。これは、統合失調症になってから、ずっと間断なく続いている。つねに移動し続けていなければ、時間が過ぎない。移動というのは、たとえば本を読んだり、なにか行動するこ…

言葉がもつれる

やっぱり、自分はしゃべるときに、言葉がもつれて、なに言っているのか意味不明になる。自分でも、変な日本語をしゃべっているな、と思い、苦笑いする。日本語の作文が非常に難しい。作文というのは、しゃべるとき。ふつう、しゃべるときは頭のなかで作文し…

楽な過ごし方

充実した時間を過ごすのか、楽な時間を過ごすのか。ぼくは、ほぼ一貫して、楽な時間を過ごしてきた。少なくとも、家ではそうだ。家にいるあいだはずっと本を読んでいたほうが、充実はしていると言えるのだろう。けれど、なかなか本を開くまでいかない。行き…

狂気的

統合失調症の前駆期のころ、2009年あたりの自分は、ほんとうに狂気的だったのだと思う。そのころに撮っていた写真が出てきて、そう思った。写真ってのは、能弁だ。いまは、そんなに狂気的ではないと思う。たぶん。

音楽が世界にとけてくれれば

音楽が風景にとけない。音楽という外界からの刺激物、風景という外界からの刺激物、これらの刺激物との間の連絡が上手くいっていない。「あいだ」の障害。「音楽が風景にとけない」と言って、この言葉の意味がわかる人、どれだけいるの。音楽と風景が一体に…

一生

それにしても、統合失調症というのはとんでもない病気だな。頭悪くなる、感情が動かなくなる、やる気がなくなる、そしてこれらが一生続く。

問題意識は弱い

実際自分の直面している問題に比べると、問題意識はかなり低い。相当やばい状態に置かれているのに、あまり問題意識がない。こういうところは統合失調症的と言えるかもしれないし、ただ慣れただけかもしれない。問題意識を持ったところで、症状が軽快するわ…

リズム感覚と間(ま、あいだ)

リズム感覚が失われる病気って、寡症状性統合失調症以外にないんじゃないか。そもそも、もともとあったリズム感覚が根こそぎなくなるという事態が起こり得るということ自体、普通は信じられないだろう。ドラマーがリズム感覚を失うってのは、ドラマーとして…

集中力と、感情の自発性

音楽を集中して聴いている人は、ただたんに音に集中しているのではなくて、自分の心の動きを見つめているのだ。これは本を読む場合においてもそうだ。本を集中して読んでいる人は、文字を追いながら、自分の心の動きを見つめているのだ。 つまり、集中力とい…

ミンコフスキーの患者

以下に挙げるミンコフスキーの患者は、まさにぼくが普段感じているのと同じことを語っているので、載せておく。 「私の周囲にあるものはすべて不動である。物は皆それぞれに離れていて、私の心を動かさない。当然懐かしい追憶を呼び起し、数々の思いの機縁と…

音楽のなかに見るわたし

統合失調症においては、知能と感情と気力と体力をやられる。(それに加えて、離人症がある。)それも死ぬまで、永久に。本を読んでいても、健康者のようには読めない。読むスピードにしてもそうだし、内容を記憶する能力についてもそうだし、本を読み進める…

慣れた

共通感覚がわからないと書いたけど、普段は自分のそうした違和感を自覚することは少ない。離人症も、もう10年も続いているので、慣れた。一日のうちの一瞬でも、現実感が戻ってくれば、慣れるということはないけれど、いまから五年前に一瞬たりとも現実感が…

知覚の変化

自分の知覚しているこの世界が、信用できない。音楽を聴いていても、自分が音楽から感じとっているものを信用できない。感じとっていると言えるほど、なにかを感じるわけでもない。統合失調症になって、世界の知覚の仕方が変わった。おそらく、病前の感覚が…

症状

体感幻覚症、暇の感覚、離人症、無気力、失感情症(アンヘドニア)。連合弛緩、認知機能障害。これらが、日常的にいちばん困る症状。離人症は、日常化しているから、意識することもほとんどない。離人症のない状態というのが、もはや想像できない。無気力は…

体感幻覚症、症状において自分を見いだす

統合失調症を発症する少し前から、胸が空っぽになっていてすーすーするという苦しい感覚がずっとあるのですが、ここ最近は、四週に一度、病院に行くとき以外は、あまり感じていませんでした。これは症状的には体感幻覚症(体感異常)というものに当たると思…