日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

近況、できる範囲で仕事がしたい

久し振りに投稿。 いまドストエフスキー『死の家の記録』を読んでいる。ドストエフスキーは今までに『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』、『悪霊』の三作を読んだ。前々からドストエフスキーの小説を一通り読んでみたいと思っているけども、未だに読めていな…

近況、前向きな人生観

NHKラジオのテキスト「中高生の基礎英語in English」というのを書店で買ってみた。英語に関しては、これくらいのレベルの教材が自分には合っているのかも。並行して、Z会の「はじめる編 英作文のトレーニング」というのを読んでいる。 今日は山田晶『アウグ…

自分を大きく見せようとしないこと

このブログの過去の記事を少し見た。数年前の記事だけども、木村敏について感想を書いている記事。なんというか自分の頭の悪さを直視することができないから、木村敏の理論についての感想をブログに書くことで、自分は人並み以上の知力を持っているのだと言…

相変わらず、カラマーゾフの兄弟を読んでいる

相変わらず、カラマーゾフの兄弟を読んでいる。先日、罪と罰の最後のほうの場面を開いて読んだ。ラスコーリニコフが、結果が手段を正当化するのだ、ということを言っている場面。罪と罰もちゃんと読んでみたい。白痴は未だに読んでいない。あまり前に進んで…

ドストエフスキーが手がかり

最近本をまともに読んでいないけれども、本を読むんだったら文体が美しいと感じられる本を読みたいと思った。例えば、埴谷雄高の『死霊』とか。 いま米川正夫訳のドストエフスキー『悪霊』を開いた。やはりこれだと思った。文体が美しい。この小説については…

ドストエフスキー『未成年』、両極端の融和

ドストエフスキーの『未成年』を読み始めた。とてもいい。この小説は昔に上巻の半分くらいまで読んだことがある。訳者米川正夫による解題も、とてもいい。ぼくは米川正夫の文章が好き。とても美しい文章を書く人だと思う。ちょっと紹介する。旧字は勝手に改…

自分がどのような形で世界と関わりつながっているのか

最近は算数の勉強を中心にやっていた。本はほとんど読んでいない。何をして過ごしているのか、おぼろげにしか思い出せない。読書から離れていると自分がどんな物事に心を動かされるのか忘れていく。それこそ自己喪失みたいなもので、日々はぼんやりとしてい…

村上春樹再読

自分は村上春樹が好きなんじゃないか、という説が浮上してきたので、村上春樹を読み直してみたい。先日、騎士団長殺しを読んだ。通読は三回目だったと思う。おもしろく読めたし、全四巻を一週間で読めたから、退屈はしなかったのだと思う。これから羊をめぐ…

近況、キース・ジャレット、ドストエフスキーの馬

ここ最近、この三週間くらいか、算数の勉強を続けていた。生活の形の変化としては、普段音楽を聴くとき、以前はパソコンでiTunesを使って、小型スピーカーで聴くことが多かったのだけども、最近はspotifyを使うようになった。パソコンでspotifyを使って小型…

心の支え

小学校の勉強をやっている。なんでもいいから、前向きに取り組める物事があるのはいいことだ、と考えることもできる。 常に恐怖がある、自分は見当はずれな物事に時間を人生を費やしているのではないかという恐怖。何かに取り組み始めても、すぐにその恐怖が…

学校の勉強

前に自分が統合失調症なのかどうかはっきりとわかっていない、というようなことを書きましたが、少し前に主治医に病名について確認したところ、典型的な統合失調症であると考えてよいとのことでした。最近、自分の妄想について自覚できるようになりました。…

近況、村上春樹

前回の投稿からだいぶ日にちが開いてしまいました。 ここ最近はデイケアをしばらく休んでいました。ひと月ほど休んでいたのですが、やはり自分はどこかに通っていたほうが楽だということに気づきました。どこにも通わずに家で毎日過ごす生活は耐えられないと…

症状、薬に頼る必要がありそう

相変わらず、本は『カラマーゾフの兄弟』を読んでいる。今は米川正夫訳の岩波文庫版で読んでいる。第二巻の好きな部分を拾い読みしている。 この小説で好きな部分は第二巻に集中している。第五篇「Pro et Contra」、第六篇「ロシアの僧侶」。今、イワンの大…

『カラマーゾフの兄弟』について少し

漱石の本は『吾輩は猫である』を七回くらい通読したのと、『三四郎』もこれも七回くらい通読したのと、あとは『それから』『門』『こころ』『行人』『坊っちゃん』をそれぞれ二回ずつくらい読みとおしたくらいなんだけども、いずれ他の小説も読んでみたいと…

物事の中心

人生に希望を持っても、どうせ望みがかなわないのだったら、希望なんて持たないほうが楽だろう。自分は長い間、そういう考えに取りつかれていて、いじけていたのだと思う。 アイコの音楽を聴くと、そのような消極的な考えが覆される。アイコの音楽を聴くと、…

人間としてよりよく生きるために必要な契機

動悸がする。心拍が耳元でうるさく聞こえる感じ。最近は頭痛はほとんどなくなった。一か月前は頭痛、動悸、吐き気、左手・左足のしびれが気になって、これは脳卒中の前兆なんじゃないかとも思ったけど、様子見を続けている。 今日は午前中にフロイトを少し拾…

久し振りに日記

デイケアに通い始めてからもうすぐ一年が経つ。普段の生活の中で、虚しいと感じることが多い。 ここ何日か、本を久しぶりに読んでいる。 内科医の勧めもあって、体重を減らすために、三か月前くらいに散歩を始めた。最低でも一日に一時間は歩こうと意識して…

近況

久し振りの投稿。デイケアに通い始めて少し慣れてきたけど、コロナの関係でデイケアはとりあえずのところ五月の連休明けまで休むことにした。つまりここのところずっと家で過ごしているわけだけど、精神症状が強く出ていて、居るだけでつらいという時が多い…

たぶんデイケア

前回の投稿から何があったかというと、結局作業所はやめて、就労移行に行くのもやめた。いま家で過ごしているけど、明後日の火曜に市役所に行って、次に通う場所を探す。たぶんデイケアに行くことになると思う。

就労移行支援事業所に行くことになった

就労移行支援事業所に行くことになってしまった。しかも、急な話で、今月中か、遅くても年明けに通い始めることになるっぽい。二か月も家で休んでいたから、かなりハードルが高い。就労移行は、たしか最低でも週20時間通わなければならない。ぼくには話がぶ…

再び作業所か

今日は通院だった。主治医からはぼくがもといたデイケアを提案されたけど、そこは通過型のデイケアだから、どのみちまた作業所なり就労移行支援事業所に行くことになる。それだったら今いる作業所に復帰したほうが話は早いと思ったので、また来週から作業所…

さらなる自己喪失を目指すことを強制されることに対して、抵抗しなければならない

働かずに家で過ごしていることは無意味で、外に働きに出ていれば意味がある、という先入観の押しつけに対して、強い抵抗、恐怖を覚える。ぼくが作業所の時間を増やして、就労に近づけば、ぼくの人生が前進しているというふうに見なされてしまうことに対して…

現況

先日、やはり作業所はしばらく休ませてほしいということを作業所に伝えた。主治医からはデイケアを勧められているし、このままデイケアに移ることになりそう。といっても、しばらくは家で休んでいようと思う。どこかに通うことに対して、かなり恐怖を感じる…

物語の混乱

今日、一か月半振りに作業所に行った。この一か月半の間に自分の身に何が起こったのか、今でもわからない。統合失調症が再発したのだろうか。十月の頭に、生きているのがものすごくつらくなって、このまま作業所の時間が増えて、就労移行支援事業所に移り、…

レディオヘッド、レイン

久し振りに投稿してみよう。 最近はレディオヘッドの音楽をよく聴いている。特に、イグジット・ミュージックという曲をひたすら繰り返し聴いている。ブラッド・メルドーが演奏しているバージョンは以前からよく聴いていたけど、原曲をちゃんと聴いたのは、こ…

無目的の目的、キルケゴール的な絶望、西田幾多郎の善、パウロ

ぼくは病気になってから感情の動きがとても弱くなったんだけど、少しはましになったのかもしれない、けれども普通の人と同じくらいとまではいかない。そもそも普通の人というのが、どれくらい感情動いているのか知らないけど。確認しようもない。だから、ぼ…

求めるかぎりにおいて得られる、原因結果同一の論、何故なしの生

ドラムの芳垣安洋が参加しているアルバムをいろいろ聴いてみたいと思って、iTunes に入っている曲で、彼が参加している曲だけを集めたプレイリストを作ったら意外と多く、107曲になった。ぼくは彼の参加しているアルバムはそんなに聴いていないから、これか…

禁止の効用

禁止する癖は、これもあるがままの自然なものだから、禁止することを禁止しようとすると、事態が複雑になる。禁止は仕方がない。禁止を禁止することなく、禁止を活用したい。(5.21) 村上春樹以外の本を読むことを禁止することにした。このように制限を設け…

懸隔を感じない一体感って信用できるのかどうか

自分の見ている世界に満足してしまうことも多いけど、今までの人生でこの人の目で世界を見てみたい、と思える人に何人か出会った。ジブリの「耳をすませば」という映画のテーマはそれなんじゃないかとぼくは思ってる。自分以外の人の目で世界を見てみたいと…

地獄の季節

ぼくは昔、詩を書いていた時期があった。大学生のころ、もう十年以上前の話だ。そのころは、自分の目に映ったものを誤りなく正確に言語に置き換えるという決まりを守り、写真を撮るように、一瞬の時間目に映ったことを正確に言葉に置き換えようとしていた。…