2014年06月10日(火) 22時09分29秒

ニーナ・シモンの『ニーナとピアノ+4』では、張りつめた、透明な静寂が表現されている。この種類の静寂が表現された音楽は、このアルバム以外に、ぼくは知らない。世の中には、音のある音楽ばかり。音以前の静寂を聴かせてくれる音楽は、このアルバム以外にない。

 

もちろん、音のある音楽が悪いと言っているわけではない。よく、「透明感のある歌」とか言うけど、ニーナ・シモンの歌声は、とても個性的で、一般的に言われるような、「きれい」な歌声ではない。しかし、アルバム『ニーナとピアノ+4』では、他のどんな音楽でも聴かれないような、透明感のある、澄んだ静寂が表現されている。

 

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「大変深まって音楽が必要なくなってしまう時もあるくらいで。(笑)そういう時がコンサートの最中でおもしろい瞬間なんです。というのも、そういう時には、私は何も弾いていないのにもっと多くの音楽があふれている。(笑)(キース・ジャレット)」(『武満徹対談選』)

 

武満 その通りですね。ジャレットさんの演奏について感じたことをもう少し付け加えたいのだけれど、明らかに僕が聴いていたのは、ジャレットさんの即興演奏、ジャレットさんが創り出している、おっしゃったように暗い闇から引き出してきた音、音楽であったわけだけれども、それはたいへんパーソナルでありながら、何と言ったらいいかな、感じたことを適切に言う言葉はちょっと大げさに響くかもしれないけれど、ユニヴァーサルというか、いやもっと宇宙的な、つまり、ジャレットさんが弾いているってことを忘れちゃうような世界ですね。それはさっきジャレットさんが言っていた、さらに深く深化していくことによってもう音楽なんか何もないような世界といってもよい。つまりそれは、音楽が満ちあふれていて音楽が見えなくなっているような状態というか、人間はこの宇宙の中では実に小さな存在だけれど、しかしそういう小さなものがこの大きな宇宙のパーツであり、またその大きなシステムのなかにあるのだということを感じたんですね。」(『武満徹対談選』)

 

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ところで、『ニーナとピアノ』というアルバムに関して言えば、四曲の音源が追加されている『ニーナとピアノ+4』のほうが、ほんとうだと思っている。普通、追加音源というのは、アルバム全体の統一性を損ねることが多いんだけど、このアルバムに関して言えば、四曲の音源が追加されることによって、よりアルバムとしての完成度が高まっている。倍加されていると言ってもいい。この四曲の追加音源の入っていない『ニーナとピアノ』は、『ニーナとピアノ』として認めることはできない、とすら思う。

 

また、追加音源の一曲目の、「ミュージック・フォー・ラヴァーズ」は、本編最後の曲「ザ・デスペレット・ワンズ」から続けて聴くと、より魅力を増す。本編最後の曲「ザ・デスペレット・ワンズ」は、「ミュージック・フォー・ラヴァーズ」の前奏曲と言っていいと思う。

 

そういうこともあって、追加音源四曲の入っていない『ニーナとピアノ』は、「ザ・デスペレット・ワンズ」で終わってしまうので、山場を前にして終わってしまうような、不完全な印象を受ける。『ニーナとピアノ+4』における最高の山場は、最後の追加音源四曲にあると言えると思う。もちろん、本編の曲も、すべて完璧だけれど。

 

また、このアルバム『ニーナとピアノ+4』における最大の山場の一つは、「ミュージック・フォー・ラヴァーズ」における、最後のオルガンの和音の長さにあると思う。長すぎるのだ。まだ鳴っている、と思う。ニーナは、オルガンの最後の和音を、予定調和的な長さで止めることをしなかった。そこに、このアルバムの特性の一つが、強く表れていると思う。この、オルガンの最後の和音の連続の持つ、神々しさ。

 

また、この記事の最初に言及した、「澄んだ静寂」は、「アイル・ルック・アラウンド」という曲において、最も顕著に表れていると思う。ニーナは、囁くように、ピアノの鍵盤に触れる。万感の叫びをもって。そこでは、澄んだ静寂を感じさせるとともに、音楽にあふれている。そう、音に満ちた状態、音楽に満ちた状態。