リッチー・ブラックモアについて

ディープ・パープルの『マシン・ヘッド』というアルバムを聴いている。このアルバムは、ぼくが中学一年のときによく聴いていた。いまからもう15年以上前だ。その当時は、ぼくはエレキ・ギターを始めたばかりで、このアルバムでのリッチー・ブラックモアの演奏に憧れ、このアルバムの曲は全曲練習した。

 

いまこれを聴くと、このアルバムにはロック的要素は皆無だということがわかる。このアルバムは、ハード・ロック/ヘヴィー・メタルの夜明けとされているけど、ぼくの考えるロック要素はこのアルバムにはない。つまり、ぼくの考えでは、ロックと、ハード・ロック/ヘヴィー・メタルは、別物なのだ。

 

たとえば、この『マシン・ヘッド』でのリッチー・ブラックモアの演奏は、整合性がありすぎて、破壊的なものが感じられない。上手く弾きすぎている。リッチーは、たとえば『ライブ・イン・ジャパン』では、こんなに上手く弾いていない。ここでは、上手く弾こうなどとは考えていない。そういう意味で、『マシン・ヘッド』よりも、『ライブ・イン・ジャパン』での演奏のほうが、ロック度は高い。

 

『マシン・ヘッド』でのリッチーの演奏は、エレキ・ギターの一つの教科書と言っていいほど、技術的に高水準にある。とくに、チョーキング、ビブラート、スタッカートなどの技術水準は、他に類を見ないほど高いと言える。あくまでも、技術的な意味で高水準だというだけであって、それがすなわち音楽的に高レベルだという意味ではない。私見では、このアルバムでのリッチー・ブラックモアチョーキングは、歴史上最高レベルにあると言っていい。誰もリッチーのようなチョーキングはできない。少なくとも、リッチーの前には、このようなセンシティブなチョーキングをする人はいなかったと思う。クリーム時代のエリック・クラプトンの、あの「クロス・ロード」でのチョーキングは、ほとんど唯一の例外ではないだろうか。「クロス・ロード」は、エレキ・ギター史上最高の名演奏の一つと言えるだろう。

 

それでは、ジミ・ヘンドリックスはどうなのか。ジミ・ヘンドリックスは、チョーキングの技術水準では、ある意味でリッチーに勝っているし、ある意味ではリッチーに負けている。勝ち負けではなく、スタイルの違いと言ったほうがいいだろう。音楽的豊かさという点では、あきらかにリッチー・ブラックモアよりも、ジミ・ヘンドリックスのほうがすぐれているだろう。ぼくはいま『マシン・ヘッド』を聴いても、懐かしさは感じるけれど、音楽的な驚きは感じない。『マシン・ヘッド』と、ジミ・ヘンドリックスの『ライブ・アット・ウッドストック』を比較した場合、後者のほうが音楽的におもしろいと思う。もっとも、リッチーは『マシン・ヘッド』においてはクラプトン的な演奏スタイルを取っているから、比較の対象が間違っているかもしれない。『ライブ・イン・ジャパン』は、ジミヘン的要素が比較的強い。

 

リッチー・ブラックモアのスタイルは、ジミー・ペイジエリック・クラプトンジミ・ヘンドリックスを組み合わせたものだと思う。リッチー・ブラックモアの演奏に出会ったとき、ぼくは中学一年だったが、初めて「この人のようになりたい」と思った。そのとき、ぼくは生まれて初めて、「憧れ」という感情を体験したのだと思う。リッチー・ブラックモアの存在は、ぼくの中学時代を象徴している。