夾雑物のない純粋な現実

ミンコフスキーのいう「現実との生ける接触」とは、磁力のようなものだ。ジャクソン・ブラウンの『レイト・フォー・ザ・スカイ』というアルバムを久し振りに聴いていて、そう思った。いま、ぼくはこの音楽を聴いていて、音そのものしか聞こえてこない。音以外のものが殆んど感じとれない。空気感とか、雰囲気、感情といったもの。大学生のころは、このアルバムをよく聴いていた。そのころは、まだ上に書いたような空気感、雰囲気、感情といったものを、かろうじて感じとることができた。つまり、音楽との接触が保たれていた、音楽を聴く能力をまだ保持していたということだ。磁力が機能していた。音楽は、あるいは現実はさまざまなものを磁石のように吸い寄せる。音楽は雰囲気や空気感、感情といったものを吸い寄せるし、昔聴いていた音楽を久し振りに聴いて、そのころの記憶や世界の肌触りがよみがえってくるという体験は、誰もがしたことがあるだろう。かように、音楽、あるいは現実はさまざまなものを磁石のように引き寄せるので、「夾雑物」のない、純粋な音楽、現実といったものは、少なくとも正常人には感じとることはできないだろう。

 

そして、夾雑物のない「純粋な」音楽、現実と接しているのが、離人症患者である。精神病理学者である木村敏は、雰囲気、空気感、間(ま)といったものを感じとることなしに、それらと分離した、「純粋な」現実と接している離人症者の状態を表現記述するさいに、「現実」という語を、さらに「リアリティ」「アクチュアリティ」という語に区別した。ぼくも最近は木村敏の本を読んでいないのと、まだまだ読みが浅いのもあって、この二つの語の意味について、ここで詳しく説明することはできないが、簡単に言えば、夾雑物を含めた、磁力的で不純な現実を「アクチュアリティ」、夾雑物のない、磁力的でない純粋な現実を「リアリティ」という。たとえば、音楽を聴くうえで、音符は追えるが、その音楽、演奏がかもしだしている雰囲気や間(ま)といったものを感じとることができないという状況があったとして、それは「リアリティ」を捉えることはできているが、「アクチュアリティ」を捉えることができていない、というふうに説明できる。

 

ぼくは夾雑物のある、磁力のある現実に憧れる。