悦ばしき知識

「この本のためには、おそらく一篇の序文だけではこと足るまい。だが、幾らあっても結局、相似たことを体験した者でないなら、序文なんぞによってこの本の体験に近づけるものではないのではないか、という疑問が依然として残るだろう。」(ニーチェ『悦ばしき知識』、ちくま学芸文庫、p7)

 

ぼくは、統合失調症になる前の数年間の自分の体験を言語化するべく、いろいろと本を手に取り、勉強している。ニーチェの思想を理解しているとは言い難いけれど、共感できる部分が、少なからずある。ぼくはニーチェと「相似たことを体験した者」であると確言することはできない。けれど、ニーチェの本はおもしろい。おもしろく読めるということは、幾らか相通じる体験をしているのかもしれない。

 

この本は、以前に読んだ『善悪の彼岸』、『ツァラトゥストラ』よりもおもしろいと感じる。まだ15ページまでしか読んでいないから、たまたま最初におもしろい部分が集中していただけかもしれない。最後まで読み通せるかもしれない。

 

「最後に、最も重要なことを言いおとしてはなるまい。そのような深淵から、そのような重い病衰から、また重苦しい疑惑のための衰耗から、われわれは新たに生まれて立ち戻って来る、――脱皮して、より感じやすくなって、より悪辣になって、悦びに対する一そう繊細な趣味をもって、あらゆる上質なものに対する一そうデリケートな舌をもって、一そう快活な感覚をそなえて、悦びにおける第二の一そう危険な無垢の境地を獲得して、以前にあったよりも一そう子供らしく、しかも百倍も垢抜けして――。」(ニーチェ『悦ばしき知識』、ちくま学芸文庫、p15)

 

鈴木大拙を連想した。

 

また、エックハルト『神の慰めの書』(講談社学術文庫)も届いたけど、これもとてもおもしろい。こうした本、ニーチェエックハルト鈴木大拙ユングなどの本を読んで「共感」できる人は、少なからず病気の世界に足を踏み入れた人だと思う。ぼくはあまりにも深く病気の世界に入り込んでしまったけれど。

 

となると、こうした哲学、宗教、心理学の本をおもしろく読む人の大半は、狂的なのだろうか。病気の世界を体験していない人に、ニーチェエックハルトを読んでおもしろいと思えるのだろうか。また、木村敏を好んで読むのはどういう人なのかも気になる。医者以外に、あれをおもしろく読める人って、いるのだろうか。ぼくは当事者なので、自分について理解するうえで、木村敏の本は役に立つ。