日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

患者の数だけ病名がある

ぼくは、主治医からは「統合失調症と神経症の中間」と診断告知されています。「統合失調症としては典型的ではない」とも言われています。ぼくは、木村敏やミンコフスキー、ブランケンブルクなどの精神病理学の本を読んでいると、それらの本のなかに、自分の置かれている事態を理解するための手がかりを見いだすことができます。また、木村敏は「破瓜型、単純型の寡症状の分裂病が、分裂病のプロトタイプ」としています。たぶん、ぼく自身、木村敏の理論からすると、「分裂病のプロトタイプ」に当たると思うのですが、主治医からは「統合失調症としては典型的ではない」と言われているわけです。事実、統合失調症の人で、木村敏の理論に共感する人は少ないと思われるので、現代の精神医学では、ぼくの主治医の言うとおり、ぼくのような病型の人は、典型的ではないということになるのでしょう。木村敏やミンコフスキー、ブランケンブルクの本に出てくる患者も、たぶん現代の精神医学では、「統合失調症と神経症の中間」とか、「統合失調症としては典型的ではない」というふうにされるのだと思います。つまり、木村敏の症例のような統合失調症の患者は、少なくとも現代においては、数としては、割合としては、少ないのでしょう。

 

また、ぼくは離人症から、自明性の喪失的、現実との生ける接触の喪失的事態へと発展しています。木村敏は、おもに離人症、自明性の喪失的、現実との生ける接触の喪失的事態について研究していますから、ぼくは木村敏の理論と相性がいいというか、木村敏の症例的な患者なのだと思います。

 

木村敏の理論に共感する人って、どういう人なんでしょうか。やはり、離人症、または離人症から、自明性の喪失、現実との生ける接触の喪失的事態に発展した人でしょうか。そうした人は、数として、割合としては少ないのでしょうが、たまにいるみたいですね。ぼくひとりだけではないようです、まあ当然と言えば当然ですが。でも、実際にぼくは主治医に、「自分のような、統合失調症と神経症の中間と診断されているような患者は、ぼくの他にいるのだろうか、日本でぼくひとりだけなのではないか」というような質問をしたことがあるのですが、もちろん、ぼく以外にもそうした患者はいる、ということでした。

 

でも、そうした離人症親和的、自明性の喪失的、現実との生ける接触の喪失的な患者に対するカテゴリーがあってもいいんじゃないかな、と思います。統合失調症と言ってもいろいろですし、「統合失調症としては典型的ではない」というような「病名」では、なかなか納得できません。主治医は、「患者の数だけ病名がある」というような立場らしく、確かにそうした姿勢は素晴らしいとは思うんですが。そういえば、うつ病患者はみな同じだが、統合失調症患者は、ひとりひとり違う顔を持っている、というようなことを誰かが言っていました。うつ病に比べて、統合失調症のほうが、個人差があるということですね。