日本的霊性

「例えば鈴木大拙氏はその著『禅論集』の中で、日本文化と禅とはきわめて緊密な関係にあること、日本のいろいろな術、武士の精神的態度、日本人の生活様式、道徳的・実践的ならびに美的方面はおろか、ある程度までは知的方面においてさえ、日本人の生活形態は、その根底をなす禅を無視してはまったく理解することが不可能だということを、証明しようとしている。」(オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』、岩波文庫、p16-17)

 

日本人でも、武術、美術にかかわっている人は別にして、あまり禅の精神を体現している人はいないんじゃないかと思うけど、それはぼくが日本人だから、気づかないだけなのかもしれない。外国人の立場から見ると、日本人の生活様式のそこかしこに禅の精神をみてとるのかもしれない。たとえば、外国から見た日本と言えば、一つには、アニメとか漫画など、サブカルチャーなのだろうけど、それらに禅の精神なんてあるのだろうか。もちろん、漱石の小説には、禅の精神は容易にみてとれるし、村上春樹も、たとえば『ねじまき鳥クロニクル』などは、多分に禅的だと思う。また、時代的な問題もあるか。ヘリゲルが『日本の弓術』を書いたのは、1936年だ。

 

また、ぼくは自分が日本人であることに誇りを持っているけど、それは禅が日本において完成したから。禅は、日本が世界に誇るべき文化、思想だと思う。鈴木大拙の『日本的霊性』を読んで、その思いを強くした。