日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

今日も

今日も本を読む気がまったくしません。本を開いても、五行読んで閉じる。まあ、いまに始まったことではないのですが。なので、ベランダに煙草を吸いに行き、居間のパソコンの前に戻ってきて、やることない、なので本をまた開き、五行読んで閉じて、またベランダに煙草を吸いに行く、の繰り返しです。デイケアに通い始める前も、そういう感じでした。大学六年目で、統合失調症を発症し、大学を中退して、四年間家で過ごしていたのですが、その四年間はいま振り返るとまったく無内容だったし、なかなか時間が過ぎなくて、一日を過ごすのもとても大変でした。デイケアに通い始めてからは、時間は比較的早く過ぎるようになったと思います。そのかわり、とても疲れますが、でもデイケアに通い始める前も、毎日とても疲れていたので、やはりデイケアに通うのは、意義のあることと思います。

 

こうしてブログ記事を書くことも、暇つぶしの一環です。少し長い文章を書いていると、一時間くらい過ぎていることもあるので、いい暇つぶしになっていると思います。ブログは前のブログも合わせると、もう五年くらいやっていますが、いまのところ書くことがなくなるということはないみたいです。なにを書いていたんでしょうね。同じようなことを繰り返し書いていたのかもしれません。自分のいま置かれている事態を、言葉で説明しようというのが、ぼくのブログのテーマだったと思います。それで、このいまぼくの置かれている事態というのが、とても複雑というか、普通の言葉で説明できるものではないので、木村敏、ミンコフスキーなどの精神病理学の本の助けが必要でした。また、統合失調症を発症する前の体験も、とても特殊というか、少なくともぼくの周りにいる人たちに話したところで、理解、共感してもらえるようなものではないので、自分のような体験をした人は、日本中に何人もいないのではないか、というような孤独感を感じていたのですが、西田幾多郎鈴木大拙河合隼雄エックハルトなどの本に出会い、自分だけではない、自分のような体験をした人は、一定数存在するのだな、と気づきました。

 

ぼくは長文を書くのが、というかまとまった量の文章を書くことがとても苦手で、こうしてブログの記事を書き始めるときも、数行で終わるだろう、と思いながら、書いていると、気づいたら1000文字を超えているということがよくあります。たまに、2000文字を超えます。ぼくは大学のとき、すでに神経症で、大学の授業にもろくに出ていなかったので、レポートの類を書いたことが、ほとんどありません。だから、レポートとか小論文の書き方というのを、いまだに知らないです。もう大学は中退してしまったし、これからレポートや小論文の類を書く機会もなさそうなので、とくに書き方を覚える必要はないのかな、と思っています。職種にもよりますか。ところで、このはてなブログは、記事の入力文字数が1000文字を超えたあたりで、動作が非常にもたつきます。なので、これは1000文字以内で書けということなのでしょうか。