努力について

やる気ないと書きましたが、統合失調症になる前は、わりと努力家だったと思っています。努力するのが苦でなかったし、いちばん楽に生活すると、結果的にはそれらが世間的には「努力」と呼ばれているものになっていた、という感じでした。楽に過ごすということは、大切なことだと思います。ぼくの場合、無目的にごろごろするということが、まったくありませんでした。なにもしないにしても、切羽詰まっていたというか、努力的でした。それで、自分は「努力」という言葉が好きではありませんでした。見当違いの方向に進むくらいなら、その場にとどまっていたほうがいい、というふうに考えていました。「努力」という言葉が好きではなかったのですが、自分は根本的には努力ができるタイプの人間だったと思っています。生まれてからいちばん最初に努力らしい努力をしたのは、たぶん中学一年のときにエレキギターを始めたときだったと思います。毎日、家にいる時間はずっとギターを練習していました。それも努力という感じではなくて、ただ好きだから触っている、という感じでしたね。学校のある日は、2、3時間、休みの日は5時間とか練習していました。もっとも、クラシックを習っている人はもっと練習しているのでしょうけど。

 

それで、高校二年のときに、受験勉強を始めたのですが、もう猛烈に勉強していましたね。休みの日は、13時間とか勉強していたと思います。でも、努力らしい努力をしたのは、この受験勉強だけだったような気もします。大学に入ってからは、「ただ頑張ればいいというものではない」というふうに考えるようになりました。受験勉強があまりにも過酷だったからか、ぼくは頑張るということについて、懐疑的になりました。いまは、たしかに頑張るということは大切だけれど、ただやみくもに頑張ればいいというものではない、というふうに考えています。大学に入ってからは、とくに楽器も練習しなくなったし、勉強もまったくしていませんでした。なにをしていたかというと、とにかく離人症を治すことだけを考えていました。森田療法には、高校三年のころに出会いました。それで、大学三年のときにジャズドラムを始めた。これが転機でしたね。一気に、生活が生き生きとしてきました。あと、アイコの音楽に出会えたこと。