木村敏の文体、イントラ・フェストゥム

昔は、初期村上春樹の文体が自分にとっての憧れの文体で、こういう文章が書けたらなあ、なんて思っていたのですが、最近(ここ数年)は村上春樹の文体に対する憧れが、相対的に弱まってきました。なんか、個性的に過ぎるように感じられるんですね。それよりも、木村敏の文体にいまは憧れているように思います。木村敏の文体って、素晴らしいと思うんですが、木村敏の「文体」に憧れるということは、あまり文学に関心がないということになるのですかね。ああいう文体は「文学的」ではないのでしょうか。まあ文学的であろうとなかろうと、べつにどちらでも構わないのですが。

 

木村敏の文体の素晴らしい(と思われる)ところは、くせがないところですね。ぼくは木村敏の先生にあたる、村上仁の文章もとても好きです。ぼくは文学者の文章よりも、精神病理学者の文章のほうが、自分にとって読んでいて心地いいと感じられることが多いように思います。もちろん、精神病理学者の文章でも、ちょっと自分には合わない、読んでいて心地いいとは感じられないこともありますが。というか、精神病理学者の本をそんなに読んだわけではないのですが、木村敏以外には、ミンコフスキー『精神分裂病』を訳した村上仁の文章、あと村上仁の『精神分裂病の心理』、ブランケンブルク『自明性の喪失』を訳した木村敏の文章と、あと他に何冊かくらい。ビンスワンガーの『精神分裂病』の文章もよかったな。これも木村敏だったか。

 

ところで、木村敏『時間と自己』をいま読み直していて、こんな文章がありました。

 

いかなる分裂病者も、いかなる鬱病者も、そしていかなる健康者も、多かれ少なかれ、イントラ・フェストゥム的でありうる。実際の臨床においても、イントラ・フェストゥム性が最小であるような分裂病は、いわゆる「寡症状性分裂病」の形をとって非理性の兆候をほとんど示さず(たとえばブランケンブルクの症例アンネがそうである)、イントラ・フェストゥム性の増大に伴って幻覚妄想症状がこれに加わって、次第に急性の非定型精神病像に近づいてくる。(木村敏『時間と自己』、中公新書、p159-160)

 

ぼく自身、ブランケンブルクの症例アンネに共感する、寡症状性分裂病だと自分では思っているのですが、ぼくが問題にしているのは、このイントラ・フェストゥム性ですね。統合失調症を発症する前は、診断的には離人神経症、あるいは統合失調症の前駆期だったのですが、この時期、数年間の自分の時間の体験様式は、まさにイントラ・フェストゥム的でした。ぼくは自分の統合失調症を発症する前の数年間の体験が、どこか本に書かれていないかといろいろ探していて、いちばん納得できたのは、木村敏のイントラ・フェストゥムという概念でした。ぼくは昔、自分を境界例だと思っていました。そして、人間がほんとうに人間らしく生きるためには、境界例的であらねばならない、というふうに考えていました。ぼくは境界例についての本をいろいろ読んでいて、「人間について学ぼうとするのならば、境界例について研究することは避けられないだろう」と考えていました。しかし、問題は、ぼくの考えていた「境界例」とはなんなのか、ぼくは、境界例のどのような部分に惹かれていたのか、自分は、自分自身をどのような点で境界例的と考えていたのか、ということです。境界例の「人間的なるもの」とは、なんなのか。それが、まさにイントラ・フェストゥムでした。要するに、ぼくは境界例のなかの、イントラ・フェストゥム性に惹かれていたのです。また、イントラ・フェストゥム的であるという点において、自分を「境界例的」と考えていたのです。ぼくは、自己診断として、統合失調症になる前の病名は、いわば「イントラ・フェストゥム」としています(もちろん、そんな病名はないのですが)。そして、現在の自分の「統合失調症」は、言い換えれば「非イントラ・フェストゥム」です。また、他の言葉で言い換えれば、「体験のあふれた状態」から、「体験の失われた状態」に移ったということにもなります。また、「現在であふれた状態」から、「現在の失われた状態」に移ったというふうにも言えるでしょう。

 

また、イントラ・フェストゥムの他にも、いくつか以前の自分の体験をうまく説明していると考えられる概念があります。それは、西田幾多郎の「純粋経験」だったり、「永遠の現在」だったり、鈴木大拙の言う「自由」であったりします。また、ユング心理学の「影との対決」という概念も、重要です。

 

まあ、要するに、ぼくはイントラ・フェストゥム的な状況に数年間置かれていて、それから2010年の2月12日を境に、非イントラ・フェストゥム的な状況に移行してしまった。こんな極端な変化を経ているから、イントラ的であったときの体験を重大視せざるを得ないのでしょうね。ぼくがこのブログなどで、「統合失調症になった」と表現しているのは、より正確には、「イントラ的状況から非イントラ的状況に移った」ということです。そもそも、ぼくは主治医からは「統合失調症」とは言われていないですしね。「統合失調症と神経症の中間」という診断になっています。自分としては、これは「寡症状性統合失調症」という病名に当たるのだろうな、と思っています。