うなぎ

うなぎを食べてきた。2500円だった。素晴らしかった。肝焼きも食べた。これは確か600円だった。素晴らしかった。やはり、この世で、うなぎ屋で食べるうなぎほど、おいしいものはない。

 

無知はたんに無知であって、無知であることを知っていることは、いささかも事態を変えるものではない。(柄谷行人『隠喩としての建築』、講談社学術文庫、p315)

 

ぼくは柄谷行人の本は『日本近代文学の起源』しか読んだことがないけど、この人の本を読むと、がつんとやられるし、読んでいておもしろい。いまは『柄谷行人蓮実重彦全対話』を読み進めているけど、これもとてもおもしろい。『隠喩としての建築』には、木村敏も引用されていた。

 

ぼくは上の引用のように断言することはできない。無知であることを知っていることは、「いささかは」事態を変えているとぼくは思っている。前にもこのブログにも書いたけど、無知ゆえの傲慢ということについて、考えていきたいと思っている。

 

柄谷 厳密に言って、ヨーロッパでも「一神教」的ではなかったでしょう。

ただ、ユダヤキリスト教のなかでは、超越者が他者として、他者が超越者として、ありつづける傾向があります。仏教でも、浄土教のように超越者が表象されているけれども、それはじつは空のことなんですね。そのことは親鸞の場合でも自覚されているんです。ヨーロッパでも、神秘主義のなかではそのように理解されていると思います。個々人が「神」だというわけです。(『柄谷行人蓮実重彦全対話』、講談社文芸文庫、p144-145)

 

神秘主義ってのは、個々人が「神」ということなのね。ぼくは、たぶん、神秘主義には親和性があると思うけど、キリスト教には親和性、ないっぽい。