日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

統合失調症は「不治の病」か

ところで、ぼくは離人神経症だったころから、いまに至るまで、離人症について調べたことはない。離人症についてネットで検索して、読んでいると、ものすごくきつくなってくる。肩に重圧がかかり、息がぜえぜえして、心臓がばくばく言い出す。そもそも、離人症について調べたところで、離人症を克服する方法はどこにも書いていないと思う。離人症は、治そうとして治るものではないと思う。むしろ、治そうとすればするほど悪化するものだと思う。「離人症を治す」という意識は、まったく捨てなければならないと思う。それよりも、離人症を持ちながら、生活を続けることを優先すべきだと思う。離人症には神経症レベルのものと、精神病レベル(統合失調症)のものとがあり、神経症レベルの離人症においては、まだ治癒の可能性は残されている。完全に治るということがあるのかはわからないが、現実感を部分的に取り戻すことは可能だと思う。それはぼく自身の体験からそう言っているだけだけど、完全に治った人もいるかもしれない。統合失調症における離人症は、治るのかどうか、軽快する可能性があるのかどうか、ぼくにはわからない。神経症レベルの離人症ですら、治癒、軽快は困難を極めるとされているので、もっと深い精神病レベルの離人症は、それよりもさらに治癒、軽快が困難だということになる。そもそも、ぼくがいちばん問題にしているのは、世界との親しさを失ったことなので、これがもし治るとしたら、「統合失調症は不治の病」という定説が覆されることになると言っていいかもしれない。感情機能の障害、無気力、離人感などは、ミンコフスキーの「現実との生ける接触の喪失」の一語で説明できると思う。これは統合失調症の根本的障害とされているので、「現実との生ける接触」が取り戻されれば、統合失調症は根本的な意味で、治癒可能ということになる。つまり、定説は覆される。そうした前例が存在するならば、統合失調症は治癒可能というふうに説明されるだろう。現段階で、統合失調症が不治の病とされているのは、治癒したという前例がないということだろう。新薬の登場により、統合失調症が根本的に治癒可能になるのかどうか、これについてはあまり期待していない。人間の欲望、無意識といった根本的な問題が、向精神薬によって左右され得るものなのかどうか、訝しい。生物学的なアプローチによってどうにかなる問題ではないように思う。かといって、精神病理学によって治癒が可能だとも思われない。統合失調症はその不治性において統合失調症なのであって、治癒可能ならば、それは神経症なのだ、というふうにも思える。これは、いわゆる寡症状性統合失調症のことを言っている。妄想型は統合失調症的と言えるのかどうか、「現実との生ける接触の喪失」という事態は妄想型においても生じているのかどうか、これについてはまだよくわからない。もし妄想型においても、「現実との生ける接触の喪失」という事態が生じているならば、統合失調症は根本的な意味で治癒可能ということになる。妄想型の人で、しばしば病前とまったく同じ状態にまで回復したという人もいるから。