バド・パウエルは「天才」か
音楽の話。
バド・パウエルが天才と呼ばれる意味がわからない。バド・パウエルは統合失調症を発症したピアニストとされている。発症する前の演奏は神がかっており、発症後はもうぐだぐだになってしまった、というのが定説。ライナーノートを読むと、電気ショック療法により指が動かなくなったとのこと。大江健三郎は、発症後のパウエルの演奏を直に見たことがあるらしく、彼いわく、「病めるセイウチ」のようだったのだと。演奏中、目の焦点は定まっておらず、口も開いたままだったのだと。
個人的に、パウエルのアルバムは、『アメイジング・バド・パウエル』の1と2が気に入っている。大学時代からよく聴いていたし、とても思い出深く、いまでもこれらのアルバムを聴くと、当時の世界の色や匂いを思い出す。とくに、1の最後の4曲、つまり「ウェイル」、「オーニソロジー」、「バウンシング・ウィズ・バド」、「パリジャン・ソローフェア」はいまでもよく聴く。
とても気に入っていて、パウエルのピアノも生気みなぎっていてとてもいいし、ソニー・ロリンズのソロも、ぼくの知っている彼のソロのなかではいちばん気に入っているし、ファッツ・ナヴァロのトランペット、ロイ・ヘインズのドラムも素晴らしい。「バウンシング・ウィズ・バド」のロイ・ヘインズのドラムは、大学生のころ、採譜して練習もした。
でも、マイルス・デイヴィスが「天才と呼べるのは、チャーリー・パーカーとバド・パウエルの二人だけだ」と言っていた意味は、ぼくにはまだわからない。チャーリー・パーカーもたまに聴くし、好きなんだけど、天才はこの二人だけ、というのは理解できない。この二人が、他のジャズ・ジャイアントたちと比べてずば抜けているとは、思えないんだな。他にも素晴らしいジャズ演奏家はいくらでもいると思う。
また、「パウエルは日常的には聴けない。重すぎる」という人もいるけど、これもよくわからない。ぼくはとくに重いとは感じないし、日常的に聴いている。ぼくの感覚がおかしいのかな。いや、まあおかしいのは確かだけど。