ネガティブな感情の「処理」、あるいは不安を妙薬にして前進

ペネトレ:自分のやりかたを発明しないとね。そういうことに、自分自身のやりかたを発明するってことが、おとなになるってことなんだよ。自分に起こるいろんないやなこととか、不愉快な気分なんかを、自分の中でうまく処理する方法を身につけている人が、ほんとうの意味でおとななんだよ。(永井均『子どものための哲学対話』、講談社文庫、p58)

 

「処理」という表現は、いささか認知行動療法的だと思う。いやなことを「処理」したり解消したりするためには、まずいやなことを「いやなこと」として認めていなければならない。不安や緊張などを含め、経験は、すべて妙薬である、という考え、姿勢は、この永井均の文章からは読み取れない。経験は、すべて等しく、意義のあることだと、ぼくは思う。また、不愉快な気分を「処理」などと言っているのは、あまり哲学的な姿勢ではないような気がする。少なくとも、東洋的ではないのではないか。鈴木大拙は、「不愉快な気分を処理する」などと言わないのではないか。