仏教を学ぶということ

『仏教入門』は、行き帰りの電車のなかで、74ページまで読み進めた。三分の一程度。ここまで読んで思ったのは、この本には仏教の歴史について書いてあるので、仏教がいかにして生まれ、いかにして各国に伝播していったのかという枠組みはわかるのだけど、仏教の内容についてはこの本を読んだだけではわからないんじゃないかな、ということ。つまり、柳は緑、花は紅とか、無所住心、平常心是道というような仏教の真髄については、この本を読んだだけではわかりようがないのだろう、ということ。それらは、勉強してわかることではないのかもしれない。勉強してわかることではないが、神経症を、森田療法などをとおして克服しようとしている人は、こうした真髄に触れるきっかけを与えられているのだと思う。河合隼雄が言っているように、神経症の症状は、禅でいう公案のようなものだ。神経症の症状をきっかけにして、人はより深い生き方ができるようになる。

 

今日も、行き帰りの電車のなかでは、『ゲッツ・ジルベルト』を聴いていた。このアルバムでのスタン・ゲッツのテナーサックスは、完璧というほかはない、いや、完璧以上のものだ。つまり、ぼくが完璧な演奏とはこういうものだろうとイメージしているものを遥かに超えている。

 

また、デイブ・ブルーベック『デイブ・ディグス・ディズニー』も聴いていたけど、改めて聴いていて、ジョー・モレロのドラムが、ほんとうに謎だった。このアルバムはもう十年くらい聴いているけど、新しい発見があり、こんな音を出していたのか、と驚いたし、どういう規範に則って演奏しているのだろう、と疑問を持った。おそろしいドラムだ。