読んだ、音楽との向き合い方

今日は通院だった。多和田葉子『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』(岩波現代文庫)を読み終えた。それなりにおもしろかったけど、岩波現代文庫にしては、ちょっと内容が薄いんじゃないかと思った。エッセイだから、こんなもんなのかな。解説を書いていたリービ英雄は、この本の内容を絶賛していて、三回読んだと言っていたけれど。あと、ぼくは外国語を勉強することの意味について、ヒントが得られるんじゃないかと期待してこの本を手に取ったのだけど、あまりヒントは得られなかった。

 

村上春樹は、クラシック音楽を理解するこつは、気に入った曲、演奏を見つけたら、暗記するくらいに何回も聴きこむことだ、と言っていた。ぼくも、初心を思い出したというか、元気づけられる気がした。高校のときに出会った、『ゲッツ・ジルベルト』とか、大学のときに出会ったデイブ・ブルーベックの『デイブ・ディグス・ディズニー』とか、チック・コリアの『カモメ』とかは、ほとんど覚えている。聴いている音楽の幅を広げたいという邪念?にとらわれて、あれもこれも聴いて、けっきょく表面的にしか音楽を聴いていないという事態に陥りがちなので、やはり音楽は繰り返し聴くことが大切だということを再確認した。また、気に入った音楽を何回も聴くのが大切というのは、目からうろこだった。ぼくは理解できない音楽ばっかり聴いていることが多かった。少しでも、自分の感覚の限界を広げようとして。わかる音楽ばかり聴いていてもしょうがない、と思っていた。けれど、まったくチンプンカンプンの音楽を聴いていても、確かにあまり意味はないかもしれないけど、わからなさがとても心地いい、という音楽は、いい音楽だと思う。

 

ところで、最近は、バド・パウエルの『アメイジング 1』の「ウェイル」、「バウンシング・ウィズ・バド」の二曲を、とくによく聴いている。この二曲もほとんどのパートを覚えている。

 

いちおうことわっておくと、ぼくは統合失調症になってから、音楽をまともに聴くこともできなくなっている。2010年の2月10日に発症して、その日を境に、感情もほとんど動かなくなり、耳も悪くなった。それまで、アイコの音楽と向き合っていたけど、アイコの音楽を聴くことはできなくなった。発症からもう五年くらい経つけど、いまだに聴けないし、よさがわからなくなってしまった。いまも、音楽を聴いて楽しいと感じることはほとんどない。感動することもない。たまに、かすかに心地いいと感じることがある。