久し振りに近況

久し振りの更新、かな。いまはアメブロをずっと更新しているんだけど、たまにはこっちのはてなブログにも書いてみよう。

 

いまぼくは作業所というやつに通っている。作業所には週三日、午前の三時間だけ通っている。いまは読書だとか趣味を充実させるのを目標にしていて、作業所は最低限通っているかんじだ。で、ぼくは前々から、本当だったら作業所にも通わずに、しばらくは家にこもって読書三昧の日々を送りたい、それを二年くらい続けてから社会復帰を目指せばいいんじゃないか、というふうに考えることもあった。でも、何ヵ月か前に三週間だけ作業所を休ませてもらったときがあった。そのとき、充実した読書生活が送れるかと思いきや、何もできなくなってしまった。目が見えているのに見えないかんじ、手足ががくがく震えそうになってしびれるかんじ、胸が空っぽになっていて胸の中を風がすーすーと吹いていて息が苦しいかんじなど、いわゆる体感幻覚症のようなものが強く現れて、とても読書どころではなくなって、しかも常に落ち着かないから、一日中何もできないでひたすらベランダに煙草を吸いに行ったり、家の中を歩き回るような日々だった。あれは苦しかった。

 

で、今回の五月の連休でも、そのようなかんじになってしまった。だから、ぼくは家でずっと過ごすのはできないのだと改めてわかった。

 

ぼくは自分の欲望と、思考・行動とが一致していないと考えていて、たまにまぐれで一致しているときは充実しているように感じたり、楽しく過ごせるんだけど、すぐにまた欲望に一致していない行動を取って、苦しくなったり、自分がどこに向かっているのかわからなくなり、迷子の感を強くすることがある。

 

要するに、ぼくは自分が何を好きなのか、何をしているときに楽しいと感じられるのか、そういうことを言語的に把握できていない。だから見当違いのことばかりしている。読書が好きなのは確かなんだけど、どんな著者の、どんな分野の本が好きなのか、未だにわからない。

 

気になっている著者の名前をいくつか挙げていくと、村上春樹夏目漱石木村敏西田幾多郎鈴木大拙、マイスター・エックハルト河合隼雄、くらいか。この辺は、間違いなく興味を持っているといえると思う。小説だとか、統合失調症離人症精神病理学、禅仏教キリスト教神秘主義ユング心理学、ということになるのかな。

 

読みたい本は厖大にある。西田幾多郎全集も全巻持っているし、鈴木大拙全集、夏目漱石全集も全巻持っている。当然、まだ読破はしていない。村上春樹はほぼ全部読んでいる。小説は『騎士団長殺し』以外は全部読んでいる。エッセイもだいたい読んでる。エッセイは5冊くらい読んでいないのがあるかも。木村敏は15冊くらい読んだ。鈴木大拙は文庫と新書を6冊くらい。全集を2冊くらい読んだ。西田幾多郎は、『善の研究』しかまともに読んでいない。全集にはまだほとんど手をつけていない。漱石は5冊くらい。エックハルトは研究書含め4冊くらい。河合隼雄は7冊くらい。

 

ちなみに、最近はドストエフスキートルストイバルザックフローベールを読みたいと思っていて気になっている。

 

作業所に通っていれば、音楽を聴きながら読書はそれなりにできるものと思われる。連休の前の三週間くらい前は、毎日、家では大音量でジャズを聴きながら、一日六時間くらい本を読んでいた。

 

作業所での作業内容は、単純作業だから、時間がなかなか過ぎない。だからぼくにはアルバイトの方が向いているんじゃないかと最近考えている。

 

ちなみに、ぼくの病気はおもに離人症で、時間の流れる感覚がおかしい。時間がほとんど流れていかない状況というのが、しょっちゅうある。時間がでたらめに分断されていて、点在しているかんじ。普通は、時間は線的に流れていくものだと思う。ぼくの場合、点在していて、しかもその各々の点の時間の間に、一貫性が見いだせない。こういう部分は、木村敏離人症についての論文を読んでいると、まあ言語的には理解できる。

 

また、最近は反精神医学で有名なR.D.レイン『ひき裂かれた自己』の最初の部分だけ読んで、そこに自分のことが書かれてあると思った。要するに、ぼくは自己とのあいだに、もうひとつ世界・他者とのあいだに、断絶がある。木村敏もこういうことにはよく触れていて、自己とのあいだの分断は垂直で、世界・他者とのあいだの分断は水平、というふうに言っていた。

 

ここ数か月の読書で印象に残っているのは、大晦日に読んだウィリアム・ジェームズ『宗教的経験の諸相』、あと雑誌現代思想の『総特集木村敏』だろうかな。あの二つは、文句なしにおもしろく、充実した読書体験だった。