いせ源のあんこう鍋、安部公房、シュルレアリスム、細野晴臣

夕飯は神保町のいせ源であんこう鍋を食べてきた。初めてのあんこう鍋。知らない世界を一つ新しく知ることができて、よかった。いせ源の前に、神保町のさぼうるという喫茶店でコーヒーを飲んだ。

移動中は安部公房『友達・棒になった男』(新潮文庫)という戯曲集を読んでいた。「友達」を読み終えて、いま「棒になった男」。ものすごい。こんなにすごい小説世界があるとは。難解といえば難解なんだけど、楽しむことは容易で、エンターテインメントしていると思う。単純にこの小説世界をかっこいいと思って読み進められるし、意味を深読みするのも面白いだろうし。ぼくなんか深く考えないで、自分は今ものすごいものに触れているというひりひりとした興奮を得られれば十分だろうと思う。音楽を聴くのと同じかな。バッハ、武満徹セシル・テイラーを聴くのと同じ。

安部公房の小説に初めて触れたのは、高校二年のとき。『壁』という小説を読んだ。あれはまさに衝撃だった。その当時、ジャズを聴き始めていて、同じ時期にチック・コリアの「スペイン」のライブテイクだとか、スーパー・ギター・トリオの「地中海の舞踏」、マハヴィシュヌ・オーケストラパット・メセニー・グループといった音楽に出会って、自分の知らない世界に興奮していた。

安部公房の小説世界も、そのような新しい世界として、新鮮に感じられていた。確か初めて読んだ小説がその『壁』だったんだけど、本を読み慣れていない当時の自分でも楽しめた。こんな面白い本があるのか、文学というのはこんなにかっこいいものなのかと、とてもわくわくしながら読んでいた。

小説中に出てくる、とらぬ狸がいっているシュールリアリズムという言葉が気になって、これがシュールというやつなのか、と思った。アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』を読んだのは、数年後の大学二年のときだった。映画『アンダルシアの犬』も、大学二年のときに見た。シュルレアリスムは、ぼくにとって憧れというか、自分は芸術に憧れていて、自分が特に興味を持ったのはシュルレアリスム(超現実主義)だった。自分がドラムを演奏する方法論としても、シュルレアリスムはよりどころとなっていた。

さぼうるでは、細野晴臣泰安洋行』が流れていた。ドラムは林立夫。昨日、ドラムマガジンでの林立夫のインタビューを読んで感動したばかりで、今日も家を出る前に荒井由実の後ろでの林立夫のドラムをずっと聴いていたから、すごい偶然だと思った。ちょうど『泰安洋行』をはじめとする細野晴臣トロピカル三部作などのアルバムも聴きなおしてみたいと思っていたところだから、びっくりしたのと同時に、必然な気もした。

神保町で三省堂書店にも寄ったけど、やはり大きな書店は楽しい。朝日新聞がアンケートを取った、平成の本ベスト30というのも全部一か所に並んでいて、一通り手に取って目を通してみた。一位が村上春樹1Q84』。東浩紀『観光客の哲学』も、初めて手に取って立ち読みしてみた。予想外に、文体が心地よく、結構おもしろそうだと思った。ドストエフスキーについての章だけおおまかに目を通した。あと『チェルノブイリの祈り』という本が気になった。文庫本のコーナーにも行ったけど、ボルヘスの『伝奇集』はやはり拾い読みしていてわくわくした。こんな世界があるのだ、と。『巨匠とマルガリータ』もやはり最後まで読みたい、と思ったり、『ヘーゲルからニーチェへ』も最後まで読みたい、と思ったり。やはり本も読みたいな。ドラム中心にやっていきたいと思うけど。そこに今は迷いはない。