地獄の季節

ぼくは昔、詩を書いていた時期があった。大学生のころ、もう十年以上前の話だ。そのころは、自分の目に映ったものを誤りなく正確に言語に置き換えるという決まりを守り、写真を撮るように、一瞬の時間目に映ったことを正確に言葉に置き換えようとしていた。自分の考えていること、すでに頭の中にある考えを言葉にするのではなく、また書きながら考えるのでもなく、向こうからやってきた一瞬の映像を言葉に置き換えること。ぼくはそれを幻視詩と呼んでいた。その当時、忘れたくない感情を経験することが、日常的に多かった。一日の中で、何度も、忘れたくない感情を経験した。夜寝る前に、今日一日で数か月分の経験をしたような気がする、と思うこともしばしばだった。何か形に残さなければ、自分はそれを忘れてしまう。写真を撮らずに、心に焼きつけるのだといった言辞もあるけれど、ぼくには心に焼きつけることなどできなかった。だから何かの形で残して、忘れないように記念とするしかなかった。自分の体験したものを形に残さずに永久に忘れ去ることが、怖かった。だからそれを言葉に置き換える作業は、失敗を許されないものだった。成功か失敗かということは、あくまでも自分の見たものをどれだけ正確に言葉に置き換えることができたか、ということを基準としていた。つまり、ぼくにとって文章の質、詩の出来不出来ということはまったく関心の埒外にあった。むしろ、その当時のぼくにとって重大なのは、自分の見たものを誤りなく言葉にして、形にして残すことであって、その文章を見た人がどう感じるかといったようなことに対しては無関心だった。どこかに、自分と同じものを見ている人がいるはずだ、そのような期待、確信だけがあった。傲慢だったのだともいえるだろうし、ぼくはそれだけ余裕がなかったのだと思う。

 

それで、いまその当時の詩を読み直すと、確かにいまのぼくには書けない内容なのだけども、でもやはり拙い文章だと思う。でもその一方で、迸りのようなものを感じる、気もする。下にその当時の詩の一つを貼りつけるけれども、やはり拙い、かな。いま下の文章、あるいは詩を読み直して、特に感動するわけでもないけれども、でも今の自分には理解のできない感情が表現されているように思う。ぼくはこの当時よりもある意味で健康になったのだといえるだろうし、この下の詩を書いていたときはある意味で今よりも狂気的だったのかもしれない。この当時はまだ統合失調症とは診断されていなかったし、主治医に訊いても、「まだ(統合失調症を)発症はしていない。神経症だ」と言われた。しかし、この詩を書いていた時期は、いわゆる統合失調症の陽性症状の出ている急性期にあったのかもしれない。しかし、主治医は前駆期、といっていたからそれが正しいのだろう。

 

2008年6月8日(日)7:12
自分が「生きていること」に少しも明るい展望が見出せないのです(自分の「未来に」、ではありません)。「これがあるから、生きていたいと思う」というのが、いまのぼくにはないのです。いままでは、どんなに一日を、毎日を生きていくのが過酷であっても、「生きていれば、こんなに良いものを見ることができる、だから死にたくはない」と思えるような、自分にとって重大なものを、たとえば音楽の中とかに、見出せていたのです。それが自分を生に繋ぎとめていたのです。いまは、自分に「生きていたい」と思わせるもの(どんなに小さなものでもいいのです。たとえば、夕飯を楽しみにするとか…)が、なくなってしまったのです。感じられないのです。ぼくは疲れているだけなのかも知れません。生きていることに、何も望むものがなくなっても、取り敢えずは生きているつもりです。再び、何かに憧れたり、何かを愛したりすることがこれから自分に訪れるかもしれません。取り敢えずは、それまで自分をこの世界に繋ぎとめていようと思います。でも、いまは涙が止まらないのです。いままでは、「生きていたい」と思って泣くことはしょっちゅうありました。でも、いま自分が泣いている理由はちっとも判りません。「自分は何も望んではいない」ということを素直に感じます。生きている人たちが馬鹿のようにさえ見えます。何もないのに。でも、死んでも何もない。生きていても何もないとしても、これから先、何かが訪れることを期待して、生きているしかないでしょう。でも、いまは世界が酷く、「からっぽ」に見えます。からっぽな世界に、80年も生きていて、それがいったい何になるというのでしょう。それがいまの感想です。でも、どうせ一晩寝ればこんな気持ちもなくなるのです。たぶん。どうせ明日には、アイコの音楽を聴いて「生きていたい」と思って泣いているに違いないのです。ぼくに死ぬことは絶対に出来ないでしょう。ぼくはたぶん、疲れているだけなのです。