物語の混乱

今日、一か月半振りに作業所に行った。この一か月半の間に自分の身に何が起こったのか、今でもわからない。統合失調症が再発したのだろうか。十月の頭に、生きているのがものすごくつらくなって、このまま作業所の時間が増えて、就労移行支援事業所に移り、就職ということになったら、自分はもう戻れなくなると思った。十月の頭の時点で、作業所には週28時間通っていた。就職するとなると、週35時間働けるようにならないといけないと作業所の所長に言われていた。28時間でも限界なのに、35時間に増えたら死んでしまうと思った。そういうのもあって、作業所をやめたいということを作業所の所長に伝えた。そのあとの詳細はここでは省くけど、今日作業所で作業をしたのは一か月半振りだ。

 

この一か月半の間、物語の混乱という苦痛を経験した。例えば、熱湯に自分の手を入れるとする、それで熱いと感じて火傷するとする。この場合、自分が熱いと感じたこと、火傷したことの原因は明らかに理解できる。熱湯に手を入れれば、熱いと感じるし、火傷もする。

 

しかし、ぼくには、自分がなぜ苦痛を感じているのか、因果的に理解することができなかった。作業所を休んでいるから苦しいのだろうか。風邪を引いていて疲れているから苦しいのだろうか。どこともつながっていないから苦しいのだろうか。楽器の練習をさぼっているから苦しいのだろうか。読書から離れているから苦しいのだろうか。思想系の本から離れているから苦しいのだろうか。小説から離れているから苦しいのだろうか。

 

このように、自分の苦痛の原因を特定することが、とても難しいと感じる。熱湯に手を入れると熱いと感じて火傷するのは、考えるまでもなく当然のこと、と普通は考える。

 

昨日から、『罪と罰』を英訳で読んでいる。英語の本は読み慣れていないので、なかなか難しい。