日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

近況

久し振りの投稿。デイケアに通い始めて少し慣れてきたけど、コロナの関係でデイケアはとりあえずのところ五月の連休明けまで休むことにした。つまりここのところずっと家で過ごしているわけだけど、精神症状が強く出ていて、居るだけでつらいという時が多い。どこかに通っていたほうが、この居るのがつらいという感覚だとか、世界がちかちか点滅してうるさいという違和感は紛れるように思う。

 

ここ何日か、一年前くらいに古本市で300円で買った松村克己『アウグスティヌス』(弘文堂書房)という古い本を読んでいる。昭和二十二年発行となっていて、ぼくが持っている本の中では最も古いほうに入る。300ページほどの本で、あと80ページほどで読み終わる。この松村克己という人は調べたら、波多野精一の弟子なのだと。この本はとてもおもしろい。自分の体験と重ねて読むことができる。回心の体験をめぐって思索を深めていくというところに共感する。井筒俊彦『神秘哲学』を思い出す。

 

ぼくは過去に、自分にとって大きい経験をした。その経験は精神病理学から見ればたんなる精神病症状として片づけられてしまうのかもしれないけれど(生物学的精神医学から見れば脳内物質の異常として片づけられるのかもしれない)、そういった説明ではぼくは納得することができない。自分の中でどのような物語として理解するのか、ぼく個人の身に何が起こったのか、ということのほうがぼくにとっては大切だと思う。

 

今回読んでいる『アウグスティヌス』という本にしても、ぼくの身に何が起こったのかということを理解する助けになる。自分は精神病である、脳内物質に異常をきたしている、ということでは納得はできないし、木村敏などの哲学寄りの精神病理学を勉強しても、まだ納得はできない。むしろ、ドストエフスキーの思想のほうが、自分にとって助けになると感じている。最近読んだ『共同討議 ドストエフスキーの哲学』という本はとてもがつんと来た。この世の中でいちばんむずかしいことは、自己が自己であることだ、という意味のことを言っていたドストエフスキーに共感する。

 

実際、ぼくが問題にしているのは自己分裂から自己調和へ、ということだ。おおげさな言い方だけれども、自然な生き方を目指したい。居るのがつらいということ、世界がちかちか点滅してうるさく感じられるということも、自分の生き方が不自然だからだと考えている。