日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

就労移行支援事業所に行くことになった

就労移行支援事業所に行くことになってしまった。しかも、急な話で、今月中か、遅くても年明けに通い始めることになるっぽい。二か月も家で休んでいたから、かなりハードルが高い。就労移行は、たしか最低でも週20時間通わなければならない。ぼくには話がぶっとんでいるように感じられて、現実味がない。

 

ぼくは余暇を楽しむことすらなかなかできない。常に症状との戦いで、必死だ。でも、しばらくは就労移行に休まずに通うことだけを考えて生活するしかないっぽい。つらいとは思うけど、耐えるしかない。振り落とされないように、しがみつくしかない。

再び作業所か

今日は通院だった。主治医からはぼくがもといたデイケアを提案されたけど、そこは通過型のデイケアだから、どのみちまた作業所なり就労移行支援事業所に行くことになる。それだったら今いる作業所に復帰したほうが話は早いと思ったので、また来週から作業所に行くことにした。いちおう母親とも話し合った上で、このあと作業所に電話をするかもしれない。

さらなる自己喪失を目指すことを強制されることに対して、抵抗しなければならない

働かずに家で過ごしていることは無意味で、外に働きに出ていれば意味がある、という先入観の押しつけに対して、強い抵抗、恐怖を覚える。ぼくが作業所の時間を増やして、就労に近づけば、ぼくの人生が前進しているというふうに見なされてしまうことに対して、強い抵抗、恐怖を覚える。そういう先入観は、とても楽天的で単純な発想だと思う。無思想といってもいいと思う。働きさえすれば人生はよくなる、という発想は、人生をあまりにも単純に見ている。一見正論に見えるけれども、そんな主張は小学生でもできる。ぼくの希望は、よりよい人生を、少しでもよい人生を目指したいというだけのことだ。そして、週35時間働くことになると、自分は幸福からは遠ざかることになると感じている。ただでさえ、さまざまな症状に苦しんでいるのに、自分から不幸になることを目指すことは、それこそ無意味だし、ぼくの人生観に反する。ぼくはユングのいわゆる自己実現の過程的に、少しでも全一的に生きたいと望んでいるだけだ。週35時間働くことになれば、自分にとって一番大切なものを失うことになると感じている。人間を単純な機械とみなし、人間を人間として見ない人に対して、ぼくは非常な恐怖を覚える。ぼくにとって第一義的なのは、あくまでも自己回復ということだ。作業所にどれだけ多くの時間通えるかが、回復の指標であるとは考えない。それは自己回復の指標とはならない。ぼくは自分が、週35時間働いて、そして自分の人生を失っている状態を明らかに想像することができる。ぼくにとって、週35時間働くことは、自己喪失の病にかかっている人が、みずから進んでさらなる自己喪失を目指すことにほかならない。それはぼくにとって端的に自殺であるように思われる。ぼくはよりよく生きることを目指さなければならないのであって、ただ生存することを目指しているのではない。

現況

先日、やはり作業所はしばらく休ませてほしいということを作業所に伝えた。主治医からはデイケアを勧められているし、このままデイケアに移ることになりそう。といっても、しばらくは家で休んでいようと思う。どこかに通うことに対して、かなり恐怖を感じるようになった。作業所に通い始めると、家にいても、一秒が地獄のような精神状況になってしまう。何もやる気が起きず、感情がまったく動かなくなり、じっとしていることもできず、また時間も過ぎず、かつ一秒一秒が地獄のように感じられる。また、自分のしていることに対して信頼感を持つことができない。ああいう体験はもうしたくはない。ぼくは自分でいうのもなんだけど、いろいろな種類の地獄を経験している。正直、生きているだけでやっとなのだけど、こんな病状で就労を目指すなんて、自殺行為だと思う。幸せに生きるための道をさぐるという権利すら奪われてしまったら、生きている意味はない。

 

いまはどこにも通わず、家で過ごしている。苦痛はないわけではないけれども、楽しみも多い。少なくとも、昨日今日はそんなに悪くなかった。活動量は多くはないけれど。今日は埴谷雄高『死霊』を50ページほど読み進め、ドラムを一時間半くらい練習しただけだ。『死霊』はおもしろいし、ドラムもけっこう楽しかった。

物語の混乱

今日、一か月半振りに作業所に行った。この一か月半の間に自分の身に何が起こったのか、今でもわからない。統合失調症が再発したのだろうか。十月の頭に、生きているのがものすごくつらくなって、このまま作業所の時間が増えて、就労移行支援事業所に移り、就職ということになったら、自分はもう戻れなくなると思った。十月の頭の時点で、作業所には週28時間通っていた。就職するとなると、週35時間働けるようにならないといけないと作業所の所長に言われていた。28時間でも限界なのに、35時間に増えたら死んでしまうと思った。そういうのもあって、作業所をやめたいということを作業所の所長に伝えた。そのあとの詳細はここでは省くけど、今日作業所で作業をしたのは一か月半振りだ。

 

この一か月半の間、物語の混乱という苦痛を経験した。例えば、熱湯に自分の手を入れるとする、それで熱いと感じて火傷するとする。この場合、自分が熱いと感じたこと、火傷したことの原因は明らかに理解できる。熱湯に手を入れれば、熱いと感じるし、火傷もする。

 

しかし、ぼくには、自分がなぜ苦痛を感じているのか、因果的に理解することができなかった。作業所を休んでいるから苦しいのだろうか。風邪を引いていて疲れているから苦しいのだろうか。どこともつながっていないから苦しいのだろうか。楽器の練習をさぼっているから苦しいのだろうか。読書から離れているから苦しいのだろうか。思想系の本から離れているから苦しいのだろうか。小説から離れているから苦しいのだろうか。

 

このように、自分の苦痛の原因を特定することが、とても難しいと感じる。熱湯に手を入れると熱いと感じて火傷するのは、考えるまでもなく当然のこと、と普通は考える。

 

昨日から、『罪と罰』を英訳で読んでいる。英語の本は読み慣れていないので、なかなか難しい。

レディオヘッド、レイン

久し振りに投稿してみよう。

 

最近はレディオヘッドの音楽をよく聴いている。特に、イグジット・ミュージックという曲をひたすら繰り返し聴いている。ブラッド・メルドーが演奏しているバージョンは以前からよく聴いていたけど、原曲をちゃんと聴いたのは、ここ最近のことだ。

 

今日は中井久夫の本、R.D.レインの本を図書館で借りた。レインの『引き裂かれた自己』を読んでいると、やはり自分のことが書いてあると感じるし、この著者はぼくに寄り添ってくれている、ぼくの側に立ってくれているのだと信頼できる。

無目的の目的、キルケゴール的な絶望、西田幾多郎の善、パウロ

ぼくは病気になってから感情の動きがとても弱くなったんだけど、少しはましになったのかもしれない、けれども普通の人と同じくらいとまではいかない。そもそも普通の人というのが、どれくらい感情動いているのか知らないけど。確認しようもない。だから、ぼくの感情の動き方は普通といっていいんじゃないか、と思い込んでいたけれども、でもやはり普通の健康な人はもっと感情動いているだろう。診断書には、全般的なエネルギー水準の低下、と書いてあった。そのとおりだろう。生きるための意志が弱くなっても、生きていかなければならない。

ぼくが自分を健康者に近いものと思い込もうとしているのは、あまりペシミズム、ニヒリズムに陥ることのないようにするための防衛の意味あいもあるのだと思う。自分を病者として強く意識すると、絶望するほかなくなるのではないか。しかし絶望的な状況にあるのだから、その状況を正視しないのはもっと絶望的で、悪いのではないか。それこそ、キルケゴール死に至る病のような話になってしまうわけで。

キルケゴールはちゃんと読んだわけではないけど、でも絶望的な状況について絶望的な本を読んでも、実際的の役には立たないのではないかと思って、キルケゴールを読むのは避けてきた。けれども、絶望的な状況を正視せず、自分が絶望していることを見まいとするこそ、絶望的なのではないか。それこそキルケゴール的な絶望なのではないか。絶望を正視すること、それによって絶望が軽くなるわけではないのかもしれないけど、でもやはりキルケゴールは読んだほうがいいと思った。

何よりも、キルケゴールを読んでいたとき、充実感を覚えて、楽しかった。人生は無意味なのであって、なので無意味な本を読むのが最も自己に誠実な生き方といえるのではないか。有意味を騙っている本を読むのではなく、無意味であるということを踏まえて書かれてある本をこそ読むべきなのではないか。無意味な行いは、意義を持たないのではない。無意味であるかいなか、そのことと無意義であるかどうかは、別の問題なのだろう。無目的の目的、一無位の真人、というのはそういうことなんじゃないか。

目的というものを据えてしまうと、その目的に最短距離でたどり着ける手段が、より価値のあるものなのだということになる。目的が存在するところに、意味が生まれる。しかし、その目的そのものが見当外れであった場合には、その目的にたどり着くための手段もすべて無意味なものとなる。そもそも、人生に目的というものを据えることが正しいことなのかどうか。ぼくは正しいとは思わない。なぜぼくが仕方なしに人生に目的を据えるのか、それはぼくが病者になってしまったという事実があるからだ。

ぼくの理論では、神経症の水準、つまり現実との生ける接触が保たれている状態では、宗教、芸術、つまり生命との接触が保たれているので、その人は自己実現の過程的に生きることが可能だといえる。いえる、というだけでなく、西田幾多郎的にいえば、自己実現の過程的に、自己の声、無意識の声に耳を傾けながら生きることは善そのものであり、個人にとって義務であるとすらいえる。

ぼくは自分を、精神病水準、つまり現実との生ける接触の失われた状態にあると考えている。つまり、宗教、芸術、つまり生命との接触が失われていると考えている。だからこそ、自己実現の過程的な生き方、無意識の声に耳を傾けるような全人間的な生き方を諦め、小手先的な、姑息な枝葉末節のやりくりに終始するような、目的的な生き方を妥協的に選択するようになったのだ。自己実現的な、セルフ・リアリゼーション的な全人間的な生き方は、不可能になったのだから、自分がなおかつこの社会の中で生きていく以上、気に入らなくても、自分の意に反する生き方でも、妥協するほかにない。

しかし、自分は宗教、あるいは生命との接触を完全に断たれているのだろうか。完全に断たれているとする仮定は正しいのだろうか、妥当だろうか。鈴木大拙などの本を読み、宗教、あるいは生命について知解することは、自分が宗教との接触を失っているという考えを検証する上で必要なことだ。ぼくは、自分がそのような接触を失っていると考えているけど、それはまちがっているかもしれない。思い込みかもしれない。

ぼくは根本的に間違った目的に向かって動いているのかもしれない。そもそも、目的を設定するという生き方は、ぼくには合わないのではないのか。しかし、生活するためには、食っていくためには、それも仕方のないことなのだろうか。そもそも、ぼくが生命との接触を失わなければ、ぼくは生命との接触、そのことだけを相手にしていればよかったので、それこそパウロの「もはやわれ生くるにあらず、キリストわれのうちにありて生くるなり」となる。しかし、ぼくは分断されたのだと考えている。

求めるかぎりにおいて得られる、原因結果同一の論、何故なしの生

ドラムの芳垣安洋が参加しているアルバムをいろいろ聴いてみたいと思って、iTunes に入っている曲で、彼が参加している曲だけを集めたプレイリストを作ったら意外と多く、107曲になった。ぼくは彼の参加しているアルバムはそんなに聴いていないから、これから聴いていきたいな。

 

最近、ぼくが、日本人で一番好きなギタリストは、内橋和久なんじゃないかと思った。日本人で一番好きなドラマーは林立夫だけども、でも芳垣安洋もとてもいいと思った。(そもそもこの二人は路線がまったく異なるので、比較はできないけれども。)となると当然、内橋和久、芳垣安洋ナスノミツルの三人によるバンド、アルタード・ステイツを聴こう、という話になる。アルタード・ステイツのアルバムは一枚だけ持っているけど、日本のプログレロックという感じで、ちょっとぴんと来ない。対して、芳垣安洋のリーダーの、ヴィンセント・アトミクスというバンドのアルバムは、とてもよかった。ベツニ・ナンモ・クレズマーも昔から聴いているけど、とてもいい。

 

アウトプットを通して得られるインプットがあるはずだ。ぼくもドラムは細々とでもいいから、続けていきたい。なんだかんだ言って、月に少なくとも四回くらいはスタジオに入って練習している。といっても家ではあまり練習していないのだけど。ぼくのドラムはまったく初歩で、今はクリックにジャストで合わせて、クリック音を消す練習をしている。フィルインというやつを入れると、クリックからずれる。

 

ぼくにとって、楽器を練習することは、自分の心の実在を信じることにほかならない。自分に心があるのかどうか。ぼくが楽器から十年ほど離れていたのは、自分の心は失われていたと確信していたからだ。心が失われた人が楽器をやったところで、意味はない、というそういう論法だった。しかし自分の心が失われているのかどうか、たとえ心が失われているのだとしても、楽器に取り組むことは必ずしも無意味とはならないのではないか。むしろ、楽器に取り組むことを通して、心が再び動き出すのを期待することもできるのではないか。

 

そもそも、心なるものを静止的に固定的なものとして捉えることは誤りだろう。今日少し読んだカントの『純粋理性批判』にも、真空を求める鳩の話があった。鳩は、空気の抵抗がなければ、もっとうまく飛べるだろう、と考えたのだと。心はどういったときに動き、存在するのか、ぼくにはそのあたりがあまりよくわかっていない。心は身体の外にあるとする説もある。心は静止的に固定的にあるのではなく、動きの中にある、とする考えもあるのだろう。それこそ西田幾多郎木村敏のいう述語の論理ということになる。ぼくには述語を体験する能力が失われているとずっと確信していた。だからこそドラムから十年も離れていた。でも、最近ドラムを再開して、自分にとってドラムをやることは自分の失われていたと信じていた述語性が、本当に失われているのかどうか、検証する作業にほかならないのだということに気づいた。

 

で、自分がドラムの演奏が下手なのは練習不足に由来するのであって、練習によって自分は上達するのではないか、と考えるようになった。以前は、自分にドラムができないのは、そもそも自分には述語性が失われ損傷されているから、根本的な意味で音楽を演奏することができないのだ、生命することができないのだ、というふうに結論づけていた。練習すれば改善するというような問題ではないのだ、そもそも生命の意志の問題なんだ、練習というのはあくまでも技術を鍛錬することであって、そもそも伝えたいことを持たない自分は、手段を洗練させようしたところで、無内容で寒々しい演奏しかできないだろう、とそのように考えていた。

 

しかし最近になって、伝えたいことを持っていないということがどうしてわかるのか、自分にもまだ何か伝えたい、他者と何か感情なり思想を共有したいという欲求を持っているのではないか、そういうふうに考えるようになった。そもそも、練習は技術の、手段の鍛錬であるのみならず、むしろ生きることそのものであるといえるんじゃないかと思うようになった。まず伝えたいことが自分の心の内側にあって、それを音楽という媒体、楽器という手段を用いて具現化、表現して、他人に伝えるという図式がそもそも間違っているのだと思うようになった。音楽という媒体、そうではない。音楽は手段ではない、目的そのものだ。音を出すことで感情を他者に伝えるのではない、音を出すことそのものが、自分の目的とする行為だ。そのように考えるようになった。

 

このような考え方をするようになったのは、エックハルト研究の田島照久の講義で、「原因結果同一の論」というのを聴いたことの影響もある。つまり、考えることで何かに到達するのではなく、考えることそのものがすでにみのりである、そのような話だった。私の花は実、という聖書の話。また、鈴木大拙の本にも、求めるかぎりにおいて得られる、というようなことが書いてあった。求めなければ、得られることはない。

 

エックハルトの思想に、なぜのない生という言葉もある。つまり、ぼくがドラムをやりたいと思うのは、ドラムによって感情を表現したいという言い表し方ではなく、ただドラムをやるということそのものを目的として、ただそれを欲するのだ、とこのように言い表したほうが正確なのではないか。なぜやるのか、それはただそれが好きだからだ、というほかないのではないか。ぼくがドラムを練習するのは、確かに上達を目的としているというふうにもいえるかもしれない、がその一方でドラムを練習するということそのものがすでに実りである、というふうにもいえるのではないか。

 

ともあれ、明日はスタジオに入って練習します。

禁止の効用

禁止する癖は、これもあるがままの自然なものだから、禁止することを禁止しようとすると、事態が複雑になる。禁止は仕方がない。禁止を禁止することなく、禁止を活用したい。(5.21)

村上春樹以外の本を読むことを禁止することにした。このように制限を設けないと、迷子になる。禁止することは悪いことだというふうに思い込んでいるから、禁止することは悪いことでもないし、みんなやっていることだ、というふうに理解したい。

ぼくは受験勉強をしていたとき、自分のやりたいことを禁止する習慣が身に着いた。それで、ぼくはその禁止する癖を直そうと思っていて、それで身体的なレベルで習慣化されている、禁止する癖を禁止しようという形になった。つまり、ぼくにとって禁止することは、instinct といっていいほどに、身体化している。だから、そのように天性自然な習慣となった禁止癖を否定禁止しようとすると、それは自分の自然を圧することになる。

とにかく、村上春樹以外の本を読むことを禁止してみたい。このような禁止というのは、目標を設定してそれを達成すべく努力するという過程であって、誰もが当たり前にやっていることだろう。

懸隔を感じない一体感って信用できるのかどうか

自分の見ている世界に満足してしまうことも多いけど、今までの人生でこの人の目で世界を見てみたい、と思える人に何人か出会った。ジブリの「耳をすませば」という映画のテーマはそれなんじゃないかとぼくは思ってる。自分以外の人の目で世界を見てみたいという気持ち。この人の目には世界はどのように映っているのだろうか、自分の見ている世界だけでは不十分なんじゃないか。自分の今までの人生はなんだったんだろう?自分は今まで、いったい何を見てきたのだろう?そのように思わせてくれる人と出会うことがたまにあるみたいだ。

 

埴谷雄高が、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』について言っていたと思うけど、「この小説の世界が現実であるならば、私の生きている世界は現実ではない。私の生きている世界が現実であるならば、この小説の世界は現実ではない。」というようなことを言っていたと思う。そう思わせられるほどに、埴谷雄高にとって、自分の生きている世界とドストエフスキーの小説世界との間には懸隔が感じられたのだと。

 

ぼくは今は、自分の見ている世界に満足していることが多い。それでいいのだろうか、という疑問もなくはない。中学一年の時にリッチー・ブラックモアというロックギタリストに出会って、ぼくは初めて自分以外の誰かになりたいと思った。それ以来、ぼくは、他人の目で世界を見てみたいと思って、自分を変えたいと思うことが多かったと思う。

 

自分の見ている世界と他人の見ている世界が違うのは当たり前のことだろう。でも、それが問題に感じられるのは、他人を理解したいと思ったときだろう。自分は自分、他人は他人、というふうに割り切って、距離を置いて考えることが難しくなるときがあるんじゃないか。自分の見ているものと他人の見ているものが違うのは当たり前のことだよ、と冷静に言い切ることができないときもあるんじゃないか。他人を理解したい、他人と同じ目で世界を見てみたい、と思うときがある。でもそう簡単に他人を理解できないし、同じ目で世界を見ることもできない。そのようなときに、孤独を感じる。

 

村上春樹ねじまき鳥クロニクル』という小説は、他人と共有できる痛みをテーマにしていると思う。そもそも、我々は他人の痛みを理解することはできない、というのは本当だろうか。登場人物の一人が、そのようなことを言っている。

 

高橋源一郎が、まったく理解を絶した物事については、わからないということすらいえないのだ、というようなことを言っていた。埴谷雄高ドストエフスキー体験は、強烈な「わからなさ」体験だったんじゃないかな。懸隔を感じた、と言っているけど、懸隔を感じることのない一体感って、信用できるのだろうか。