日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

少数ではあるけれど

ベーメ小論集』が届いたのですが、ぱらぱらやっていて、これは腰を据えてじっくりと取り組むべき本だと思いました。なぜベーメの本を買ったかというと、エックハルトの本を読んでいて、意外にわかりやすいので、調子に乗ったからです。エックハルトベーメ、クザーヌスの名は、西田幾多郎の『善の研究』で知りました。三人とも、ドイツの神秘思想家とされています。

 

ところで、前にブログ記事に、「あいだ」の障害的(木村敏)、「現実との生ける接触の喪失」的(ミンコフスキー)、自明性の喪失的(ブランケンブルク)、「自然な経験の一貫性の解体」的(ビンスワンガー)な統合失調症患者はとても少ないのではないか、と書きましたが、正しくは、これらの用語を見て興味を持つ人はとても少ないのではないか、ということです。おもしろいことに、これら四人のこれらの用語は、すべて同一の事態を指していると思われます。ニュアンスは微妙に違いますけど。まあ、ぼくはこれらの用語に興味を持つ人が少ないことに、本気で不満を覚えているわけではないんですけどね。でも、ぼくは木村敏の本、ブランケンブルクの本に、アマゾンでレビューを書いたのですが、参考票がそれなりに入っているんですね。どういう立場の人が参考票を入れたのかわかりませんが、もし患者の人が混じっているとしたら、ぼくのような違和感を感じていて、そうした違和感を重大視している患者の人が、少数ではあるけれど、それなりにいるということになりますね。

 

それで、ぼくはブログで、ミンコフスキーの「現実との生ける接触の喪失」という概念を非常に高頻度で紹介していますが、同じことばかり記事に書いているような気がしますね。もう少しひねりはないかと。つまり、ぼくの言っていることは、「現実との生ける接触の喪失」を自覚し、問題にしている統合失調症患者がとても少ないのはどういうことなのか、それはぼくが主治医から「統合失調症と神経症の中間」と診断告知されていることと関係があるのではないか、ということですね。これはもう、何十回、いや、何百回と書いているような気がします。でも、ミンコフスキーのこの概念は、ぼくの問題の本質を的確に言い当てているので、ぼくが本質的な意味で、自分の問題を克服しない限り、つまり病気が自然に質的な変化を見せない限り(薬物療法は、病気をこれ以上悪化させないことには役立っていますが、本質的な意味で病気を治すことには、役立っていないようです)、ぼくはこのミンコフスキーの概念を意識し続けるのではないかと思います。なんか、ぼくはミンコフスキーのこの概念に、強迫的と言えるくらいに、こだわっているように見えるのかもしれません。

 

また、ぼくがこの「現実との生ける接触の喪失」概念にこだわっているのは、統合失調症になる以前に、とても強度のある現実を体験していたことと関係していると思います。だからこそ、現実との生ける接触が失われたということが、はっきりとわかったのです。

 

それでも、ぼくは最近は精神病理学、心理学の本は読んでいないです。一時期はそうした病気についての本しか読めなかったのですが、最近は病気に直接かかわりのない本をよく読んでいますね。木村敏も最近は読んでいません。いま居間のパソコンの横に積んである本も、ほとんど病気とは関係のない本です。エックハルト内田樹フロイト村上春樹ディケンズニーチェゲーテ上田閑照、トマス・ア・ケンピス、ゴダール、ルソー、キルケゴール河野哲也ベーメ。病気の本を読まなくなったのは、進歩と捉えるべきなのだろうか。

 

あと、自分にとって、本を読むことが大切だということも、繰り返し書いているな。もうわかったよ、というふうに言われるかもしれない。ぼくは学生時代、つまり統合失調症を発症する前は、本をほとんど読まなかった、というか読めなかったから、その反動でいま本を少しずつ読んでいるのだと思う。これも、前の記事に書いた覚えがある。自分の置かれている事態を十分に言語化できておらず、バランスのとれていない状態にあるから、そのアンバランスさを解消するために、知的理解を優先しているのだと思う。ぼくが思想系の本を読んでいるのは、興味本位というよりも、自分の体験した現実を言語的に理解するためだろう。「自分の体験を言語的に理解する(言語化する)」ということも、ブログに何回も書いている。だから、特別に哲学に興味があるというわけではないと思う。思想の本を読んで理解する頭脳はぼくにはない。どちらかというと、哲学に親和的ではあるとは思うけど。自分の体験が書かれてある、というふうにならないと、読めない。もちろん、自分の体験と無関係なことも、自分にとって大切だとは思うけれど、それとは別に、自分の体験を言語化する作業は必要だと思っている。

 

そういえば、『死にいたる病』に、想像力について書いてあったけど、考えてみると、想像ってなんなんだろうね。自分の理解を超えた他者とのかかわりがないと、なかなか想像力って働かないんじゃないかな。