日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

音楽のなかに見るわたし

統合失調症においては、知能と感情と気力と体力をやられる。(それに加えて、離人症がある。)それも死ぬまで、永久に。本を読んでいても、健康者のようには読めない。読むスピードにしてもそうだし、内容を記憶する能力についてもそうだし、本を読み進める集中力も、かなり障害される。次に、感情。音楽を聴いてほとんどなにも感じないなんてのはざらである。気力について言えば、知能や感情がある程度機能していれば、それにつれて気力も上昇するだろう。体力。

 

要するに、統合失調症者は、健常者と同じように世界を見ていない。かなり大きな隔たりがある。

 

知能や、感覚、感受性にまで影響を及ぼす病気なんてのは、そう多くはないだろう。人格が変化するわけだから。それも、低い方へ。

 

音楽を聴いて、これがわたしだ、と思った。音楽のなかにわたしはあった。音楽が鳴っていなければわたしはない。ただし、鳴ってさえいれば、わたしは音楽のなかに見出すことができた。この音楽を聴いていると安心する、その安心こそが、わたしである。これを大地との接触という。大地との接触は、おそらくわたしが危機に陥っているときに感じられるものだろう。いかに一日を過ごすか、正解は一つしかない。たとえば音楽のなかに感じられた自分自身を追いかけていればいいだけの話だ。それをやっていれば、いちばん深い生き方ができているのだと言っていい。なぜなら、わたしなのだからな。わたしの感じられない者になにができるというのか。そして、このわたしを失ってはいけない。音楽のなかなどに姿を見せるわたしを見失うことは、それは統合失調症の発症を意味している。患者はいう、わたしはもう音楽のなかなどに、わたしを見つけることができなくなった。わたしはどこにいったのか。たぶん、どこにもいないのだろう。これが、統合失調症だ。