日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

喜び、悲しみ、透明な感情(獰猛な欲望)

今日は出かけてきた。朝、家を出る前に15分くらい練習した。夕方に家に帰ってきて、夕飯の前に15分くらい、夕飯を食べたあと、一時間ほど練習した。今日は一時間半ほど練習したことになる。でも、練習していると一時間なんてあっという間だな。一日に最低二時間は練習しないと、復習すらできない気がする。

今日はテンポ90とか100を鳴らして、8分音符でひたすら左手のシングルストロークのアップダウンの練習をやった。リズムパターンの練習もやった。

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練習していたら、涙があふれてきて、床にぼたりぼたりと落ちた。スティックを振ることの喜び。スティックをメトロノームに合わせて振りつづけていることは、自分にとって、失われた時間、人生を取りもどすための具体的な行為のひとつひとつなのだと思った。(2019.3.23)

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今日は外に出ているとき、胸のざわざわだとか、息苦しさが目立った。

家に帰って、ドラムの基礎練習を始めると、自分の感じているこの感情は、悲しみなのだと思った。練習をしているうちに、胸のざわざわは多少静まりつつあるように感じた。一時間半だけ練習できた。やはり目安としては、一日に三時間くらいの練習は必要かもしれない。

いま音楽を聴いている、モダンジャズを。楽しい。デューク・エリントンの『マネー・ジャングル』を聴き、デューク・ピアソン『テンダー・フィーリンズ』を聴いた。どちらも好きなピアニストだ。

いま、エルヴィン・ジョーンズ『プッティン・イット・トゥギャザー』。エルヴィンのドラムも大好きだ。信じられない演奏。このような驚きを感じられることが嬉しい。エルヴィンはぼくにとって目標というか、理想的な指標の一つだ。

いま気づいたけど、かっこいいと思ったフレーズを一小節だけでも、譜面に書き出して、練習する手もあると思った。一曲まるまる採譜して練習するというのは膨大な時間が必要とされるし、非効率で現実的ではない。アイデアを盗むということ。例えば、いまエルヴィンの演奏を聴いていて、八分音符の二つ目、三つ目にバスドラムを入れるフレーズがあった。この部分だけでも、練習するとか。そういうやり方がいいのだと思った。

 


一撥の音色でも尊く取り扱う。承知しないと何回でもやり直す。そうするとなんとも言えない境地におかれてくるのです。それであまり調子にのり過ぎますと、自分で琵琶を弾いていて涙が出てくる。なんのために涙が出てくるかわからん。それは一種の感激でしょうね。それで自分で滑稽になって、これはいかんな、ひとりよがりしてはいかんなとときどき思うのですが、そういう境地に入ることがあるんです。ですから、こんな幸福なものはないと思います。(辻靖剛、『武満徹対談選』、ちくま学芸文庫、103-104ページ)

 

さっき、1小節1拍理論というものを思いついた。1小節なり、ひとまとまりのパターンを1拍と捉えられるまで、身体に覚えこませる。

あと、4拍8連理論。8分音符が1小節のなかに8つ並んでいる場合、4拍8連符として捉える。つまり、1小節の中で8等分されたものとして捉えない。8つの8分音符のそれぞれの長さを長くしたり短くしたりする。それで気持ちいいタイミングを探す。探すというか、好きなドラマーの演奏のタイミングを真似するというか。

アンドリュー・ヒルジャッジメント』を聴いている。ここでのエルヴィン・ジョーンズもものすごい。アンドリュー・ヒルのピアノがまず第一に素晴らしい。アンドリュー・ヒルも、一番好きなピアニストの一人だ。

 

でも今、私は音楽的な主張を持たない。前はあったけれども。そのことをネガティヴにとらえる人が多いんですが、これはネガティヴでもなければ、私は引退するわけでもないんです。(笑)(キース・ジャレット、『武満徹対談選』ちくま学芸文庫、165ページ)

 

明日はたくさん練習したい。