日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

ブログについて

『神の慰めの書』の続きを、30ページほど読みました。とてもおもしろいです。

 

ぼくは以前のブログも含め、かれこれブログを4年くらい続けていますが、ほぼ毎日書いています。一日で多い日で30件くらい更新したこともありました。なぜこれだけブログを更新できるかというと、暇だからです。統合失調症になり、自宅で療養するようになってから、暇つぶしのために、ブログを始めました。それで、三年だか四年だか家で過ごし、去年のいまごろに、デイケアに通い始めました。デイケアに通うようになってからは、更新の回数は以前よりは減りました。

 

それにしても、よくこんなにブログを書き続けていられるな、と思います。そんなに書くことないんですけどね。そろそろ書くネタがなくなってくるんじゃないかとも思うんですが、自分はいったいなにを書いているんでしょうね。同じようなことばっかり書いているのかもしれません。しかも、その日になにをしたかというような、いわゆる日記調の記事は、あまり書いていないように思います。自分の考えていることを書くことが多いように思います。

 

となると、普段いろいろ考えているということにもなるかもしれませんが、あまり考えていません。むしろ、ブログを書くことをきっかけにして、いろいろ考えているのかもしれません。統合失調症になってから、頭もクルクルパーになりましたし。病気になる前は、つねにいろいろ考えていたんですがね。その日を生き残るためにはどうすればよいのかについて、自分が根底においてなにを望んでいるのかについて。

 

確かに、ブログに書くことがなくなったらどうしよう、と少し心配もしていますが、その一方で、ブログの更新の回数は、できるかぎり減らしたいとも思っています。雑記を一日にたくさん書き散らすのではなく、できるだけ内容のあるものを、一日に一回から多くて三回くらい更新するのがいいと思っています。もっとも、ぼくがいままでに内容のある記事を書いたことがあるのかというと、はなはだ疑問ではありますが。なんか、毒にも薬にもならない、無内容なことばかり書いている気もしなくはありません。

 

たとえば、内容のある文章とはなにか。それが、ぼくにはもうわからなくなっているんじゃないかという疑念があります。内容のある文章とは、やはり、毒にもなるし薬にもなるような、読んでいる人の考え方を多少なりとも変化させたり、あるいは読んでいる人の感情を揺り動かすようなもののことを言うのではないか。あるいは、ただ文体的に、読んでいていて心地いいという文章であるということも大切でしょうね。

 

それで、読んでいる人をなんらかの意味で啓発するような文章なんていうと、そんなたいそうなものは書けないし書いたことがないような気もします。ちなみに、ぼくはいままでに読んでいる人の役に立つような文章が書きたいとか、読んでいる人をなんらかの意味で啓発したいと思ったことはありません。読み手のことはほとんど考えたことがありません。そこまでユーザーフレンドリーではありませんし、そもそもブログは、おもに上に書いたように、暇つぶしのためと、一度病気によって壊滅した、自分の言語能力を回復させるためにやっています。もちろん、書くだけではなく、いくつか自分以外の人のブログも読んでいますが。

 

それで、読んでいる人の感情を揺さぶるということについてですが、これもべつに意識していないし、というか読み手の感情を揺さぶることを意図してなにかを書くなんてことは能力的にぼくにはできないですし、そもそもぼくには感情の動きがほとんどないので、人を感動させるような記事なんて、書けっこないでしょう。でも、前に一度、ぼくの文章の句読点が、琴線に触れるというようなことを言ってくれた人がいました。なんか、不思議な気がしますが、喜ばしいことだと思いました。

 

書くことないとか言っているわりには、記事を書き始めると、すぐに1500字を超えてしまいますね。ぼくは長い文章を書くのが苦手なのですけどね。内容にもよるんでしょうね、こういうふうに思ったことを書くだけなら、それなりに長く書けるんでしょう。とはいえ、長い文章は、読むほうの負担にもなりますから、ほどほどの長さ、たとえば1000字程度に収めるのがいいんだろうな、と思います。