日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

近況、キース・ジャレット、ドストエフスキーの馬

ここ最近、この三週間くらいか、算数の勉強を続けていた。生活の形の変化としては、普段音楽を聴くとき、以前はパソコンでiTunesを使って、小型スピーカーで聴くことが多かったのだけども、最近はspotifyを使うようになった。パソコンでspotifyを使って小型スピーカーで聴いている。最近はオーディオで音楽を聴いていない。

デイケアで数学の勉強会をやることになったので、その予習のために小学校の算数を勉強しているときが多かった。休みの日などは、六時間くらい勉強したときもあった。問題集の問題を解いている。図形の問題集、文章題の問題集をやっている。算数の勉強はそれなりに楽しく取り組めるけれど、それなりに疲れる。それで反動として、西田幾多郎を開いたり、最近はまたドストエフスキーを開いて読み始めた。算数の勉強は細々と続けることになりそう。

先日、spotifyキース・ジャレットのケルン・コンサートを通して聴いた。このアルバムを通して聴くのは、高校二年のころ以来だから、もう18年振りくらいになる。ジャズを聴き始めたころにこれを聴いたときは、この音楽のよさがほとんどわからなかった。長い演奏にも慣れていなかったし。

今、このアルバムを聴くと、クラシック音楽とも違うし、ジャズピアノとも違うし、とても変わった音楽だと思った。ギターみたいな弾き方をすると思った。左手の和音の弾き方が、フォークギターのコードストロークみたいに聞こえる。印象としては、ボブ・ディランがギターと歌でやっていたのを、ピアノ一つでやっているような感じがあると思った。

また、結構親しみやすい音楽だと思った。長尺の演奏だけど、聴いていて退屈しなかった。ところどころジャズでは聴き慣れないような和音だとか音階が出てきたり、ジャズの真ん中みたいなメロディが出てきたり。

ジャズは最近、ほとんど聴かなくなってしまった。最近は中学高校のときに聴いていたハードロック、ヘヴィメタルを聴きなおしている。

今日はドストエフスキーの白痴を拾い読みしていた。公爵が驢馬について話しているところとか、マリイという少女の話とか。

昨日、「バルタザールどこへ行く」という映画を見た。その映画はドストエフスキーの白痴、聖書から着想を得ているとのこと。映画のなかで、驢馬がいじめられているんだけども、これは罪と罰ラスコーリニコフが見る夢の中の場面を意識して作っているのだと思う。夢のなかで、幼いラスコーリニコフは市中でいじめられている馬を見て、かわいそうだと思って父親に、「あの人たちはなんで馬をいじめるの!」と泣いて尋ねる。この映画での驢馬の目つきは、まさにこのラスコーリニコフが見た夢の場面を再現しているのではないかと思う。この映画を見て、浮かんだ感想は、ただ一言、「驢馬がかわいそうだ」ということ。見ていて、痛ましかった。この驢馬はどこへ行くのか。

ドストエフスキーはやはり、ちゃんと読んでみたい。白痴も途中までしか読んでいないので、最後まで読みたい。白夜なども読んでみたい。

いま、spotifyで、キース・ジャレットのレイディアンスというアルバムを聴いている。いい音楽に出会えた。