日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

ドストエフスキー『未成年』、両極端の融和

ドストエフスキーの『未成年』を読み始めた。とてもいい。この小説は昔に上巻の半分くらいまで読んだことがある。訳者米川正夫による解題も、とてもいい。ぼくは米川正夫の文章が好き。とても美しい文章を書く人だと思う。ちょっと紹介する。旧字は勝手に改めた。

こうして、生涯ドストエーフスキイを苦しめ通した「両極端の融和」、神と悪魔の大問題は、未解決のままで残されているが、しかしヴェルシーロフは病気の平癒後、静かな光とつつましい悦びに包まれた、一種の安らかな心境に入った事を作者は語っている。それは彼の身内に蓄積され、内訌していた最後の肉の力が、遂に一団の猛火となって燃え上り、結局、虚無の冷灰に帰して了ったからで、両極端の融合でなく一つの極の敗滅かもしれない。要するに、謎は謎として残っているが、しかしわれわれは、巡礼者マカールの「この世の中はまことによい物だ。たとえ人間に取って何か神秘めいた物があろうとも、かえってその方がよいのだ。恐ろしいような不思議なような心持がする。この恐ろしさが楽しい心持を誘うてくれるのだ」という言葉を、書物全体に亙って感じ得るような気がする。(ドストエーフスキイ『未成年 上』岩波文庫、6ページ、米川正夫による解題から)

 

両極端の融和ということは、ぼくが長年取り組んでいる問題でもある。ドストエフスキーの本は共感的に読める。ぼくの人生問題と、ドストエフスキーの人生問題とは重なるところがあると感じている。