日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

西田の遠く

西洋的発想は全体と個人を区別し、さらに個人と個人、自分と自分の精神までをも区別する。たとえば西洋的学問はこの赤いバラなら、この赤がなぜ美しいかを分析し、その秘密を暴き出すだろう。だが、バラの真の美しさをバラ自体を知らない人に教え、味わわせることは決してできない。私がこの美しさをどんなに詳細に分析し、言葉で詳しく言ったとしても、言えば言うほど、真の美しさから遠ざかってしまうだろう!(『小学館版学習まんが 西田幾多郎』、p92)

 

私は感覚の欠如を理智によって補っている、とミンコフスキーの患者は言った。理智によって補ったところで、美しさに近づけるわけではない。ぼくなどは、西田哲学や禅、宗教からいちばん遠いところにいると思う。かつてはいちばん近いところにいたと思っているけれど、2010年の2月12日を境に、いちばん遠くへ移動した。

 

ところで、さっき高橋源一郎を引っ張り出してきたけど、自分はいまは哲学宗教の本に専念するべきだと思ったので、すぐに戻した。そのかわりに、小坂国継『西田幾多郎の思想』、上田閑照『非神秘主義 禅とエックハルト』と上の小学館のまんがを引っ張り出してきた。