雪解けか

先週、ジャズのライブを見たとき、二曲目と三曲目のときだったか、涙が勝手にどばどばと流れた。その涙は自分の感情と結びついたものではなく、ただ涙が出ただけなのだとそのときは思った。花粉症の人が涙を流すのと同じことだろう、と。音楽は聴いていて楽しかったけど、涙が出るほど感動しているのだとは思えなかった。かといって、店内に花粉がたくさん飛んでいるのだとは思えなかった。

 

このように考えることもできるかもしれない、ジャズドラムというものにぼくはずっと愛憎のようなものを持っていて、いや、憎むというのとは違うな、自分がジャズドラムにずっと憧れているのに、自分には演奏ができないこと、自分が今の病気になったことで、感情表現ができなくなったのだというふうに考えていたこと、自分は生命との接触を断たれてしまったから、音楽を演奏することはもうできないのだと考えていたこと。好きでないということにしてしまえば、自分が音楽を演奏できないという事実に直面しないですむ。

 

ライブを見て、自分はやはりドラムが好きなのだということを改めて思った。心の雪解けのようなものなのかもしれない。

 

さっき、音楽を聴くとき、小型スピーカの音量のつまみを回すこと、その動作に生きた時間の流れのようなものを感じた。このような感じはとても久し振りだった。音量のつまみを回すことには意味がある。つまみを右に回せば、音量が上がる。先の記事にも書いたように、そこに味わいを感じた。いまこのようにパソコンのキーボードを叩いているこの動作にも、味わいを感じている。時間の幅、厚みを感じる。今まで、時間は一点の瞬間、瞬間ともいえないゼロの点に縮まっていた。時間に厚みがなくなっていた。これは、時間が流れないということを意味している。しかし、今回感じている味わいということは、時間に厚みが出てきたというふうにもいえる。

 

時間がわかれば、人生がわかる。これは道元だっけ?