大隈講堂、言葉、エフェクター

わせべんを食べに行ってきました。学生がたくさんいました。高田馬場から東西線で早稲田に向かっているときに、電車のなかで、いままでに見たこともないような、かわいい女の子を見ました。自分の価値観が揺さぶられました。小学生くらいにも見える、少年のような感じの女の子でした。あんな少年は見たことがないけれども、少年よりも少年的というか。少女、という感じではない、というかああいう小学生の女の子は見たことがないし、ぼくは小学生には興味はないのですが(中学生にも興味はない)、つまり少女のような面影を残した女の子に惹かれるのかもしれません。人間というのは、こんなにもかわいくなれるのだな、というようなショックを受けました。人間の相貌の可能性を思い知ったというか。それで、その子は、当たり前のようにリュックをしょっていました。ぼくが惹かれる人は、圧倒的な確率で、リュックをしょっています。

 

と、このようなことをブログに書いてもいいものなのかわからないのですが、今日見た女の子のことを忘れたくないので、いちおう記録しておこうということで、この記事に書きました。その子は、早稲田駅で降りて、大学のほうへ向かって歩いて行ったので、早稲田の学生なのでしょう。背が恐ろしく低かったのも、印象的でした。150cmとか、そこらでしょう。髪型は黒髪のショートでした。キノコカットに近かったのかな。

 

わせべんは、もうだいたい納得できました。来週は、いねやの弁当を食べようと思います。大隈講堂を改めて眺めていて、自分は高校生のときに、早稲田のオープンキャンパスを見に行き、大隈講堂に憧れて、早稲田に入り、入ったばかりのころは、大隈講堂を見ては、自分は早稲田の学生なんだ、と実感していたのを思い出しました。なんであんなに大隈講堂に憧れていたのかわからないのですが。東大の安田講堂を見ても、べつになんとも思わないですし、慶応も高校のときに、オープンキャンパスを見に行ったのですが、ぜんぜん惹かれなかったです。

 

ところで、話は違うのですが、言葉は人間に対してどのような影響力を持っているのだろう、とたまに考えることがあります。人間にとって言葉とはなんなのか。言語の発達は、人間に対してどのように利するのか、利するとして、それはなぜなのか。言語感覚は、その人の世界観、人生観、感性などにどのように影響を与えているのか。

 

こうしたことについて考えるためには、文学理論の本を読むのがいいのかもしれません。テリー・イーグルトン『文学とは何か』という本を昔、図書館で借りて途中まで読みました。あと、オクタビオ・パスの『弓と竪琴』なんて本も、途中まで読んだのですが、これも言葉について考えるのに、役に立ちそうです。

 

言葉を知らないということは、人間にとってマイナス要素でありうるのか、あるとするなら、なぜそうなのか。言葉を知るということは、どういった点で、人間にとってプラスになりうるのか。

 

無知ということには、傲慢ということがついてまわることが多いように思います。無知ゆえの傲慢さというのは、あると思います。もちろん、無知でも謙虚な人はいるでしょうし、無知でなくても傲慢な人もいるでしょう。ぼくは自分を傲慢なところがあると感じることがありますが、それは無知ゆえの傲慢さなのだ、というふうに考えます。知は人を謙虚にさせるのだと思っています。傲慢であるということは、目に曇りがあるからであることが多い気がします。知と謙虚さ、無知と傲慢さ、ということも、ちょっと考えていきたいテーマの一つですね。

 

さっき、ギターに少し触りました。たぶん、半年振りくらいです。半年くらい、指一本触れていなかったと思います。楽器店のギターを試奏させてもらったことはありましたが、家のギターは、ずっと触っていませんでした。それで、昨日届いたボスのブルース・ドライバーというエフェクターを使ってみたのですが、とてもいいです。ぼくは統合失調症になってから、耳が悪くなったのですが(耳が遠くなったという意味ではありません。音楽を聴く耳が悪くなったということです)、音色の違いというのが、ほとんどわからなくなりました。また、ギターに日常的に触れていないと、やはり音色の違いというのは、わからなくなるんでしょうね。それでも、これは理想的な音だ、と思いました。ちょっとだけ、弾くのが楽しかったです。でも、いくら理想的な音が出ると言っても、ギターを弾く技術がなければ、演奏はできません。一つのコードを弾いて、じゃーんとやって、いいなあ、というふうにはなりますが、それだけではちょっとおもしろくないですね。まあ、でも、逆に、一つのコードを弾いて、心地よさを感じられれば、ギターが楽しいということになるんでしょうね。じゃーんとやるだけで楽しくなれないからこそ、ギターにもう長いこと触っていないんでしょうね。普通は、へたくそで、技術がなくても、それなりに楽しく弾くことはできるでしょうしね。プロ並みの演奏技術がなければ、楽器を楽しむことはできないということは、ないと思います。へたでも、なぜ演奏が楽しいと感じられるのか、それは感情表現できるからでしょうね。感情を外に出すことが心地いいと感じられる人は多いと思います。