日記、本と音楽

統合失調症。普段の生活について書きます。

日記

大隈講堂、言葉、エフェクター

わせべんを食べに行ってきました。学生がたくさんいました。高田馬場から東西線で早稲田に向かっているときに、電車のなかで、いままでに見たこともないような、かわいい女の子を見ました。自分の価値観が揺さぶられました。小学生くらいにも見える、少年の…

ブログについて

『神の慰めの書』の続きを、30ページほど読みました。とてもおもしろいです。 ぼくは以前のブログも含め、かれこれブログを4年くらい続けていますが、ほぼ毎日書いています。一日で多い日で30件くらい更新したこともありました。なぜこれだけブログを更新で…

ポール・オースター

『翻訳夜話』は、もう少しで読み終わります。おとといの夕方に読み始めたから、新書とはいえ、ぼくにしては早いペースです。ポール・オースターの「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」という短編が村上春樹訳、柴田元幸訳で両方とも載っているのです…

言語化

ぼくは昔は、本を読むことはそんなに重要ではないと考えていて、本を読むよりも、自分の頭で考えることのほうが大切だと考えていました。ショーペンハウエルの『読書について』を読んで、それを真に受けていたんですね。真に受けていたというより、曲解して…

しわ寄せ

今日は、先日アマゾンで購入した、村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』、ジャン・リュック・ゴダール『ゴダール映画史』が届いたわけですが、読みたい本がたくさんありすぎて、どれから手をつけたらいいかわかりません。いまは、村上春樹『ダンス・ダンス・ダン…

旅行者の感覚

いま、ジェフ・ベックの『ブロウ・バイ・ブロウ』というアルバムを聴いています。このアルバムは高校二年ごろによく聴いていました。もう十年以上前の話です。 それで、これを聴いていて、沖縄を思い出します。その当時の父親の単身赴任先が沖縄だったのです…

エックハルト

今日は、外出中は村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス 上』(講談社文庫)を読んでいた。それで、エックハルト『神の慰めの書』(講談社学術文庫)は、家で読むことに決めているので(かばんに入れると、折れたり汚れたりするかもしれないから)、さっき4ペー…

批判的思考というけれど

よく批判的読書(クリティカル・リーディング)が大切だとか、本の内容をうのみにするな、とか言うけど、ぼくはそうした批判的読書ということができないし、本の内容をいちいち「うのみ」にしている。だって、そうじゃないか。エックハルトの本を読んでいる…

患者の数だけ病名がある

ぼくは、主治医からは「統合失調症と神経症の中間」と診断告知されています。「統合失調症としては典型的ではない」とも言われています。ぼくは、木村敏やミンコフスキー、ブランケンブルクなどの精神病理学の本を読んでいると、それらの本のなかに、自分の…

本能的推進

今日は昼近くに起きてから、まだなにもしていません。暇の感覚が強くて、かつ無気力でなにもする気が起きないという例の状態です。暇ならなにかすればいいじゃないか、と言われるかもしれないけど、無気力で、なんにもする気が起きないし、なにも楽しくあり…

エックハルトと鈴木大拙

ニーチェ『悦ばしき知識』(ちくま学芸文庫)は、66ページまで読んだ。かなり歯ごたえがあり、ほとんど意味が取れない。 それで、エックハルト『神の慰めの書』(講談社学術文庫)を読み始めた。そしたら、とてもわかりやすくて、おもしろい。いま、訳者によ…

夾雑物のない純粋な現実

ミンコフスキーのいう「現実との生ける接触」とは、磁力のようなものだ。ジャクソン・ブラウンの『レイト・フォー・ザ・スカイ』というアルバムを久し振りに聴いていて、そう思った。いま、ぼくはこの音楽を聴いていて、音そのものしか聞こえてこない。音以…

2009年5月19日(火) 0時38分

2009年5月19日(火) 0時38分芸術家ってのはある種の闇を抱えているものだと思うけど、俺には闇と呼べるようなものはないんだよね(笑。ただの暗いだけの人間だから。自分の中に、重い何かがあるようには思えないし、「リアリティー」なんて欠片もないでしょ。…

「あいだ」について考え続けていきたい

「僕と車とでたすけあっているんだ。簡単に言えば。つまり、僕がここの空間に入る。僕はこの車を愛していると思う。するとここにそういう空気が生じる。そして車もそういう空気を感じる。僕も気持ち良くなる。車も気持ち良くなる」(村上春樹『ダンス・ダン…

言行一致

なかなか、言行一致しません。たとえば、自分はニーチェを読みたいんじゃないかと昨日思ったのですが、やはりニーチェよりも、いまは村上春樹のほうが読みたいんじゃないか、といま思いました。 自分の欲望を言語化して理解するということがとても難しくなっ…

ニーチェ、アプラクサス、翻されたる眼

「友があなたにおいて愛しているのは、非情の眼と、永遠に澄んだまなざしであるかもしれない。」(ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った 上』(岩波文庫)、p94) 「あなたはあなたの友にとって、清澄な空気であり、孤独であり、パンであり、薬であるだろ…

かばん、ニーチェとの出会い

昨日は立川に用があって、ある古着屋のようなところで(立川北口のロフトの上)、マンハッタン・ポーテージのかっこいいかばんを見つけたのですが、手持ちの金がなかったので、買えませんでした。なので、今日また立川まで行ってきて、その店に行ったのです…

失語症患者のリハビリテーション

いま現在の考え、感じたことを書け、と言われても、それはほとんど無理だ。夕焼けを見てもなにも感じないし、音楽を聴いてもほとんどなにも感じない。本を読んでも、なんの感想もわいてこない。(2014年10月02日(木) 20時32分26秒 ) ぼくはいま、こうした失…

2014年12月25日(木) 21時53分05秒

久し振りにサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」を聴いて、自分はまだこの音楽の価値をわずかにではあるけれど、感じられるかぎりにおいて、人間なのだと思いました。ぼくはこの音楽を聴いてなにも感じない人間は、人間ではないと思っていました。…

2014年05月26日(月) 21時43分52秒

木村敏『関係としての自己』を読んでいて、離人症についての概説的な部分に触れ、自分は離人感を、統合失調症になって以来、違和的なものとして感じていないということに気づいた。つまり、慣れてしまっていて、これを問題として、意識することがなくなって…

2014年06月10日(火) 22時09分29秒

ニーナ・シモンの『ニーナとピアノ+4』では、張りつめた、透明な静寂が表現されている。この種類の静寂が表現された音楽は、このアルバム以外に、ぼくは知らない。世の中には、音のある音楽ばかり。音以前の静寂を聴かせてくれる音楽は、このアルバム以外に…

2014年07月08日(火) 14時22分21秒

「本書で取り扱えなかった諸問題のうち、現在私の念頭にあるのは、直接性の病理としての「境界例」(borderline case)という主題である。元来は分裂病と近縁の病態として考えられたこの特異的な自己同一性の障害は、現在の私の考えでは、明らかに直接性の病…

2014年07月30日(水) 20時13分07秒

久し振りにニーナ・シモンの『ニーナとピアノ+4』を聴いているけど、改めて、The Desperate Ones は、Music For Lovers のための序曲だと思った。Desperate は、オリジナル盤の最後の曲なので、Music For Lovers の序曲として想定されてはいなかったはずな…

2014年10月02日(木) 20時32分26秒

「柄谷 ぼくがマルクスについて書いたのもそれとよく似ているかも知れません。マルクス主義者がもつような切実な関心を、ぼくはマルクスについてもっていないのです。たとえば、ニーチェの方にはるかに関心がある。しかし、ニーチェではなく、マルクスについ…

2014年11月10日(月) 20時59分57秒

そういえば、一昔前に「コレジャナイロボ」というのが流行ったが、ぼくは2010年の2月に統合失調症を発症してから、ずっと「コレジャナイ感」を感じている。この感覚、いつかなくならないかなあ。自分の感覚を、受け入れられるようになるときは来るのだろうか…

2014年11月12日(水) 21時55分21秒

ミンコフスキー、ブランケンブルク、木村敏などの精神病理学の本を読んでも、治療的意義はない、というふうに思っていたけど、統合失調症という病気について理解を深めるということと、治療的ということと、区別しないといけないな。例えば、神経症の人が森…

2014年12月20日(土) 23時13分21秒

人間性の深奥に肉薄する芸術を生み出すためには、統合失調症的世界に一歩足を踏み入れねばならないが、本格的に統合失調症を発症した場合、その人は永久に人間性から隔離される。この矛盾。しかし、人間性の本質が、人間性を失いつつある人にしか看取せられ…

2014年12月19日(金) 20時19分49秒

ぼくが楽器をやらなくなった理由はなにか。音楽を聴くのが楽しくなくなったからか。感情の動きがほとんどなくなったからか。なにか自分の感情を誰かに伝えたいという欲求を失ったからか。耳が悪くなったからか。即興演奏に必要な、瞬間瞬間の自発性がなくな…